無料はぼくたちの心を豊かにするのか

 注意深くぼくたちの生活に目を配れば、想像以上に日々の暮らしが無料によって彩られていることが分かる。ためしに今、みんなの手元にあるスマホを起動してみれば、検索サイト、メッセンジャーアプリ、SNS、動画閲覧サービスなど、数多くの娯楽が無料で提供されていることが再認識できることだろう。

 映画も書籍も、ぶっきらぼうに言うなら「友達」も、奢侈品ならば無料で手に入るようになったこの時代で、特にみんなにとっての暇つぶしとしてYouTubeは無視できない存在となった。アクセス回数は世界第2位、ユーザー数20億人以上をほこるこの動画プラットフォームは、従来メディアと同等もしくはそれ以上の影響力をもつようになった。将来的にはユーチューバーが言論空間を支配する時代が来てもおかしくはないと思わせるほどである。

 今さら言うまでもなく、YouTubeのすごさはユーザーが無料で多ジャンルのおもしろ動画を閲覧できる点にある。テレビも無料だが、テレビとの違いはユーザーのニッチなものまで含めたほとんどの欲望を満たせるほどの配信者の多様性と動画時間の短さである。特に後者については、スマホのおかげで寝っ転がりながら、電車を待ちながら、細切れの時間にも閲覧できるようになったためテレビメディアとの差異化が著しい。『スマホ脳』的に言うならば、原始時代から注意力散漫な人類にとって、短い動画時間はとても「適している」のだ。

 YouTubeの無料サービスは画期的なようで、実はシンプルな、むしろ旧来型の構造をとっている。つまり、デジタル情報財を無料でユーザーに提供し、収益源は19世紀から続く広告事業に依存している。YouTube(の運営元であるGoogle)の商売の実態は広告業なのである。*1

 ぼくのような素人は、広告事業のスケールというかメリットのようなものがあまりイメージできない。先日、古くからの付き合いのユーチューバーの友達と飲んだ時、そんな疑問をぶつけてみた。すると、「たとえば空気清浄機買おうってなったらどの商品を買う?」「うーん、Panasonicかなあ(あるか知らんけど)。」「ね。広告ってそういうことよ。」と、まあそうだよなあという感想ではあったが、要するに彼は、ぼくたちの知覚になんども商品や記号を刷り込むことの経営戦略上の重要性は昔から変わらないということを教えてくれたのだろう。

 その話を受けてふと思い浮かんだのは、オリンピックシーズンにテレビで見るハーフパイプ選手のヘルメットに描かれている切り裂くようなMonsterの文字であった。ハーフパイプ選手たちにモンスタービバレッジ社が莫大な報酬を支払うのは、大げさにでなく生死をかけて雪上を舞い、回転し、人々を魅了するアスリートたちが発するカッコよさ、熱量、スマートさといった付加価値を企業側が得られるからなのかもしれない。

 広告は見てもらわなければ意味がない。さらには何度も見てもらった方が効果的である。ところが、デジタル空間では広告は一般的に邪魔者扱いされている。クリックしたつもりはないのにページがジャンプしてしまった経験は誰もがあるだろうし、YouTubeにおいては動画を見る前に5秒間の広告時間を我慢しなければならない。こういう場合、多くのサービス側は課金メニューを用意しており、不便やイライラは金で解消できるようにしているが、そもそも、広告無しの有料メニューを提供している時点で広告事業の本質と矛盾したことをしている。*2

 この「ねじれ」はデジタル広告空間の特性が忘れさせてくれることになっている。物理的制約がないためいくらでも広告をうてばよいのだ。広告が邪魔と思われ、注目を引く確率が低かろうが、20億人以上が見てくれる情報空間においては採算がとれる。広告単価の低さも量がカバーする。広告が邪魔だといって有料サービスに移行するような可処分所得が高いユーザーははなから相手にしていないと言っても言い過ぎではないかもしれない。*3ぼくたちが享受する無料サービスはこのようにして成り立っている。

 質より量がものをいうGoogleに代表されるようなデジタル広告プラットフォームでは、広告主は広告媒体が誰であるかを知らない、というかそんなことに興味がない。YouTubeではGoogleアルゴリズムによって広告がどの視聴者に届くかが自動的に決まるからだ。経営学者の楠木建は次のように言う。

・・・ほとんどの場合、YouTubeの動画配信の報酬は、グーグルが機械的に割り当てた広告によって発生する。広告主は私(の動画)に発注しているのではない。グーグルに広告費を支払っているに過ぎない。彼らは支払った広告費が私の動画に使われるかどうかは知らないし、そんなことには関心を持たない。広告が視聴者に届けばそれでいい。そこには視聴者のコミットメントはもちろん、広告主のコミットメントもない。*4

 より多くの広告が視聴者のもとに届けば広告媒体側の取り分が多くなる仕組みの下では必然的に、提供されるサービスは簡単で分かりやすく実用的、あるいは刺激的で興味を引きやすいものに収斂していく。オススメ時短料理メニューから浮気やゴシップまで、あるいは有名人の発言の切り抜き、芸能人のもめごとなどの炎上案件…。

 

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 ここ最近では、YouTubeのような無料サービスの勢いが増すのと対照をなすように、有料サービス市場も急成長を遂げている。ICT総研が2020年10月に実施したWebアンケート調査の結果では、調査対象者4409人中、定額制音楽配信有料サービス利用者は848人(19.2%)で、前回調査の2019年5月時点に比べて有料サービス利用者は4.8%増加していたようである(ちなみに無料サービス利用者の伸び率は0.7%)。*5 さらに、動画配信市場で躍進を遂げるNetflixは2020年末時点で有料会員数は2億366万人に達した。*6

 人がサービスにお金を払いたいと思うかどうかは、その提供財が文化的なのかどうかにかかっていると楠木は言う。*7たしかに、現実として無料サービスとの競争にさらされながらも有料配信分野で特に成長をしているのは音楽や映画、ドラマなどの情報財である。音楽や映画などの分野は、たえず多くの批判や批評がつきまとい、その中で作品の質が磨かれ次世代に受け継がれてきたという歴史的蓄積がある。彼の「文化」の定義はこうである。人々が能動的に関わり、心を動かされるもの。刹那的な刺激への反射に終わらず、記憶として定着するもの。思考と行動の基盤として、その価値が一生続いていくもの。ぼくなりの解釈を加えるなら、文化財というのは普遍的な価値をもつものであると思う。それは時代が変わっても、いや、変わるからこそその価値がいっそう高まっていく。ぼくたちにとって指針であり、常に人々から参照され、物事の根源へのよすがとなるものが「文化」というもののような気がしている。

 個人的な経験を言うなら、ぼくにとって初めて価値観を激しく揺さぶられた作品は中学生の時に観たスティーブン・スピルバーグの『シンドラーのリスト』だった。たしかDVDレンタルだったと思うが、あの素晴らしい名作をたかだか数百円で鑑賞できるというのは、文化財がいかに安く提供されているのか、幼心に驚きもした経験である。あの時に観た狂気の映像は今もぼくの価値観の根底にある。また、音楽でいうなら大学の頃にエルトン・ジョンの「ホンキーシャトー」のアルバムを聴いた時は衝撃を受けた。中でも「モナリザ・アンド・マッドハッター」はこの上なく美しい曲で、世の中にこんなに素晴らしい音楽があるのかと陶酔したものだった。その後、彼の最後の世界ツアーとなるライブを観に横浜まで行き、彼の生のピアノ演奏と歌声を聴けたことは人生で最高の忘れられない思い出である。

 だから、暇つぶしと文化は全く異なるものだ。いつの時代も娯楽はあるべきである。YouTubeは現代人に適合して進化した娯楽の形態だ。それはいつでもどこでも閲覧できるという意味でも究極の暇つぶしである。だがやはり、それは文化とは全く異なるものである。

 Googleのような世界トップの企業には、素人が想像もし得ないような経営上の戦略があることだろう。そこには経済だけでなく、人々の欲望をいかにして効率的に満たすのかといった心理学・認知科学の分野も組み込まれていそうだ。そういった専門知を駆使しながら、エキスパートたちはいかにぼくたちが暇な時間をサービスに費やしてくれるかに心を砕いている。ぼくたちに「いいね」ボタンを押させるために彼らがどれだけの事業費を注いでいるのかぼくには想像もつかない。その真剣さは別にしても、やはりぼくはインスタグラムに投稿される魅力的な飲食店をあくせく巡り、こじゃれた料理をさらにまたSNSに投稿する営みがぼくたちの心を豊かにしているかといえば全面的には賛同しかねる。それはあくまで暇つぶしとして捉えるべきなのである。評論家の河上徹太郎は1970年代時点ですでに、ぼくたちの余暇が規格化され勤労の精神をなぞるようになってしまった時代を嘆いたが、今の時代もそこにSNSが介在していること以外は何一つ状況は変わっていない。

・・・勤め人がたまの休日を人ごみに揉まれて郊外の遊園地あたりまで子供とあわただしい一日を過ごすみじめさはよく漫画のタネになっているが、一方われわれはお小使いをしわ寄せすれば昔なら貴族豪遊の独占であった旅行やホテル生活を味わうことができる。しかしそこには歪められた優越感・虚栄心以外にどんな陶酔があろうか。そしてまた、今では幽邃な古社寺の門前には観光バスが列び、名代の食い物屋が日に数百千の客を賄わねばならないとなれば、味はいやでも規格化せざるを得ない。

あくせくレジャーを求めて、どれだけ心身ののびやかさと解放感が得られるのか?実は勤労生活をちょうど裏返しにした時間の縄の目を、ノルマを達成するために勤勉に辿っているだけなのである。 *8

 

 心の豊かさとはなんだろう。この難題に答える用意は未熟なぼくには到底ないが、少なくともSNSや手軽な動画閲覧で手に入る代物ではないことくらいは何となく想像がつく。だが現代では、多くの楽しみが無料で享受できることも相まって、スポーツも映画も芸術も漫画も読書も、効率的で実用性のあることがありがたがられるようになった。現代の余暇には学びの辛さや苦痛も必要とされない。しょせんは暇つぶしなのだから、労働時間外の人生の適当な時間に、体調を崩さない程度に「ほどほど」に楽しめれば十分になった。余暇はあくまで明日の健康や労働のためであり、その意味で労働という目的至上主義の補完物に成り下がった。*9ぼくたちは人気ユーチューバーの動画を数十年後は覚えているだろうか。あるいはそれは未来の世代から参照され、受け継がれていくような歴史を持ち得るだろうか。答えはおそらく否だ。娯楽には人々の真剣な参加や態度は無い。心揺さぶられ、日常が覆ってしまうような経験は見つからない。きっとそこに、無料と有料、娯楽と文化の違いがある。

 文明はぼくたちを快適にしてくれたが、ぼくたちの心を豊かにしてはくれなそうである。

 

 

 

 

 

*1:『ゲンロン12』株式会社ゲンロン、編集人 東浩紀、「無料についての断章」楠木建執筆、2021年、125頁。

 

 

*2:同上、127頁。

*3:同上、127~128頁。

*4:同上、134頁。なお、彼はYouTubeで動画配信しているわけではなく、あくまでその想定でという一節である。

*5:2020年 定額制音楽配信サービス利用動向に関する調査|ICT総研【ICTマーケティング・コンサルティング・市場調査はICT総研】 (ictr.co.jp)

*6:Netflix、会員2億人突破 10~12月の売上高2割増: 日本経済新聞 (nikkei.com)

*7:同上、128頁。

*8:『有愁日記』河上徹太郎、新潮社、1970年。

*9:『だれのための仕事 労働vs余暇を超えて』鷲田清一、株式会社講談社、2011年、118~119頁。