リスク回避という安楽

 最近、お昼ご飯を買いにコンビニに行くと、ゼロシュガーやカフェインレスのエナジードリンクをよく見るようになった。ことエナジードリンクに限らず、他にも~オフシリーズの商品ではノンアルコールビールや糖質〇%オフのカップ麺も増えている。また、喫煙者であるぼくは、嗜好品の中でも先のようないわば「ノン・レス・オフ」化の流れを汲むものとして、電子タバコ市場がそのシェアをどんどん広げていくことも驚きのまなざしをもって見てきた。

 まず、ゼロシュガー・カフェインレスのエナジードリンクや低糖質のカップ麺、電子タバコが流行するのは意外な感じがした。なぜなら、ジャンクフードや嗜好品は刺激が強い分快楽も大きいことにこそ魅力があるのであって、その刺激を軽減させてしまっては快楽も薄まってしまうと思うからである。とはいえ、これだけ「ノン・レス・オフ」商品が定着するからには、当然、ジャンクフードや嗜好品に比べて快楽は半減するが低刺激を求めるという人々がかなり多いということだろう。

  もともと、嗜好品にはリスクがつきものであり、またリスクがあればあるだけ気持ちいいし楽しいし美味しいというのもまた事実である。たとえば、極上の快楽として知られるドラッグは脳機能の破壊、喫煙ならばガンや呼吸器系疾患、アルコールは肝機能障害や二日酔い…。酒呑みならばきっと一度はこんな経験がある。もう最後の一杯にしようと言いながら、会話も弾み「もうちょっと飲むか」ともう一杯、もう一杯と酒が進む。飲めば飲むほどもっとこの場にいたいと思う。飲みすぎて家族に怒られる、明日の朝遅刻する、二日酔いで仕事をこなさなければならない…。そんな自分が鮮明にイメージできるとしても。逆に言えば、辛い未来があるからこそ、この瞬間のお酒がよりうまかったりする。

 ところが、最近はみなリスクと快楽を両方受け容れることが難しくなっているように見える。ぼくたちはことあるごとに怒られないか、目立ちはしないか、行き過ぎてはいないか、はみ出してはいないかと自制心を働かせている。楽しさや気持ちよさを素直に享受するのではなく、それによってどういう迷惑がかかるか、どういうリスクがあるのかに配慮し、それに対するケアを怠らないことは社会生活上の最低限のマナーとなっている。

 したがって、「ノン・レス・オフ」の商品は今の時代にぴったりの、よくできた商品だと言える。それらは他人に迷惑をかけたくないぼくたちが選びうる最善の選択となりつつある。電子タバコならニオイもつかないし副流煙による害悪も軽減される。ノンアルコールビールならばアルコールによる様々な失敗もしなくて済むだろう。「ノン・レス・オフ」という枠組みは今や「SDGs」や「フェミニズム」同様、間違いのない選択肢となっており自分にも他人にも言い訳ができる安心材料なのだ。つまり、その選択はリスク回避の安楽という様相を呈している。

 思い返せば、ぼくたちの社会は様々な場面において、リスクを徹底して排除するようになった。子どもたちの遊ぶ場はどんどん減らされている。道路や公民館でボールをけって遊ぶ子どもは見なくなったし、危険な遊具はすぐに撤去される。大人になれば日ごろからコレステロールや肝臓の数値を気にし、会社組織ではハラスメントにならないかとコミュニケーションにも配慮せねばならない結果、人付き合いも適度な距離で機械的にこなしていくようになった。

 事前にあらゆるシュミレーションをして予測し、危険を回避することは複雑化する社会においてとても大事なことだろう。けれども、次はこんなリスク、その後はこんなリスク…と目まぐるしく推移する社会では、問題の本質がどこにあるのかという問いは忘れられがちである。たとえば、「お母さん食堂」というブランドを女性差別的であるという理由で撤廃させたとして、果たしてそれで女性差別という構造は解決されるのだろうか。この問題意識について、思想家吉本隆明は次のように述べている。

現在、身近に迫ってくる社会的な事件は、〈緊急の課題〉と〈永遠の課題〉が両方混ざって出てきていると理解した方がいいと申し上げました。・・・緊急の課題というのは、こちらからあちらへいく課題です。それでは永遠の課題は何かといったら、ある社会的な事件があったら、その事件を、時間的に言えば未来、もっと親鸞的な言い方をすれば浄土、あるいは死からの光線で照らし出してみなければわからない問題です。・・・たとえば、煙草を吸うのは体に悪いからやめようじゃないかという嫌煙権の運動があります。煙草を吸うか吸わないかという一見すると小さな問題を、緊急の課題として解こうとすると、煙草はガンになるからやめたほうがいいというお医者さんのような考え方になったり、嫌煙家の人の考え方みたいになってしまいます。・・・しかしぼくはそれが正しいとおもいません。なぜなら、煙草を吸うか吸わないかという問題のなかには、永遠の課題があるからです。・・・未開社会の時から、麻薬や嗜好品を人類は嗜んできました。一時的な快楽や安楽、一時しのぎの苦悩からの解放であったりする麻薬や酒などの、体に絶対によくないであろう嗜好品を、人類はなぜ嗜んできたのでしょうか。人間性のなかには、生理的には悪いとわかっていることでも嗜まざるを得ない精神状態があるという問題は、永続的な課題であり、嫌煙家の人には絶対に解けないことです。*1

 

 多分、ぼくたちの社会はもう、免疫をつけるとはどういうことなのかを忘れてしまったのだろう。人は失敗を乗り越えて強くなる、といった教訓も言葉としては残っても教育的に実践することは困難となった。健康は大事。命は大事。その通りである。反論の余地はない。最近はみんなまともなことしか言わなくなった。理性でもって、こうすれば危険は回避できるといった類のことしか言えなくなった。先の吉本の言葉を借りるならば、現代人は「緊急の課題」のことで頭がいっぱいなのだ。

 たわむれに、この時代状況を免疫学的な比喩で表現し結びとするならば、政治的正しさに満ちた社会は殺菌・消毒を徹底する清潔で健康な身体、「炎上」はウイルスの侵入である。身体は当然免疫反応として異物を徹底的に排除しようとする。だが、皮肉なことに、あまり異物慣れしていない清潔で健康な身体は、時たま過剰な自己防衛システムを起動し、無害な物質までも攻撃することがある。最近はこういったアレルギー反応がそこかしこで起こっている気がしてならない。

 

*1:吉本隆明吉本隆明が語る親鸞』株式会社東京糸井重里事務所、2012年、185~188頁。