おばあちゃんの家に行くと、よく物をもらう。
果物だったり魚だったりお菓子だったり。大抵食べ物だが。
大変ありがたいのだが、同時に何か心に灰色の煙が広がっていくような感じもする。
誰しもが一度は思ったことがあるのではないか。
このモヤモヤは何だろう。
単に、こんなの要らないのになあ、という煩わしい気持ちだけが生じたのではない気がする。
何か物を頂いた時、ぼくたちはその親切に対して親切を返さなければなあと思う。その義務感にモヤモヤを感じるのだ。
そんなの当たり前だと言われればその通りだ。
けれども、親切を返すのが煩わしくて嫌なのであれば、ぼくたちはそもそも、往々にして親切を求めていないということになる。
もっと正確に言えば、人からの親切と返礼という円環を面倒なものだと感じることが多いということだ。
贈与は受け手の「負い目」となり、返礼の義務感を生む。それが人と人とのつながりをもたらし(あるいは維持させ)、共同性を育む。
人はそうやって社会を維持してきた。
このことを好むか好まざるかに関わらず、人類が続く限り贈与はなくならない。