NTR

令和の時代を生きているぼくたちにとって、記憶に残っているマンガといえばやはり鬼滅の刃だろう。あるいは呪術廻戦か、約束のネバーランドか、あまりマンガ通ではないぼくにとってはその辺りしか答えられる作品がない。

 

そんな普段マンガをあまり読まないぼくが、裏マンガ史として、20代で衝撃を受けた作品はと言われれば、いわゆるNTR、寝取り系エロマンガの『カラミざかり』である。

 

ぼくがいくつか購入し、読んだ乏しい経験から言ってもNTR作品市場というのはかなりの規模である。その中で、他のどの作品とも毛色の違う、異質の輝きを放っていたのは『カラミざかり』だと思ったのである。

 

ここからはみなさんが『カラミざかり』を読んでいる前提で文章を書こうと思う。

 

物語の中で、主人公の高成とヒロインの飯田、寝取役である吉野貴史(ハゲ)、そしてもう1人の女性キャラクターである新山が主な登場人物である。みな高校生で、主人公高成は飯田が好きなのだが、ある日の下校中、ノリで貴史(ハゲ)の家でセックスが始まる。そこで、高成が恋するヒロイン飯田が貴史(ハゲ)に寝取られてしまうのである。

 

表現上の特徴として、全体的に情景や人物の描写はとても淡白で線的である。学校の休み時間の何気ない場面からセックスシーンまで、エフェクトが派手につけられることはなく、淡々と描かれていく。そこにはデビッドフィンチャーのテンポ良いカットを想起させるようなコマの運びが見られる。

 

描写において、ぼくが最も素晴らしいと感じるのはセリフがあまりないという点である。他のNTR作品を見れば明らかだが、行為中の擬音やセリフは量が多くかつ派手に描かれがちである。あるいは寝取りの回想シーンなどではとかく寝取られた側の悔しさや喪失感などの感情が事細かに吐露されている。こうしたセリフや感情の文字の量の多さは読者の時間を止めてしまう。ぼくたちは作品にのめり込むことを遮られ、性行為の描写や文字に集中してしまう。それに対して、同作品では性行為の前後、そして最中も余計なセリフは極力省かれている。興奮は吐息、汗、顔の火照り、陰部を抑える仕草で表され、性行為のシーンはベッドの軋む音、手の重ね方、唇の合わせ方、挿入から流れるように無駄なく、クライマックスにつれ大きく描かれる。だからこそ、寝取られ最中の高成の茫然自失とした黒い瞳と、事後の飯田の紅潮した頬とうつろな瞳がなんとも言えない余韻を読者に与えるのである。これは紛れもなく描写の力であろう。淡々と描写されるからこそ、ぼくたちはその余白部分において、この寝取りという行為に伴う悔しさ、喪失、憎しみなどの感情をじっくりと味わい、また、寝取りという行為の意味や倫理について考察できるのである。

 

『カラミざかり』は3部作品である。パート1は寝取られという喪失の始まり、パート2は喪失の徹底であり、パート3では寝取られという喪失を高成自身が性的嗜好へ昇華するというラストを迎える。

 

『カラミざかり』は見事に読者を裏切ってくれたのだと思う。高成は寝取られという喪失感から目を背けず、徹底的に自分をいじめ抜くという意味で、あくまで飯田に執着し続ける道を選んだ。彼は社会人になっても飯田と交流を続けており、彼女からセックス遍歴や犯された後日談を聴き続けることで寝取られを何度も追体験し、悔しさと喪失とマゾ的な快楽を何度も反復する。彼は物語の最後、次のように言うのである。

 

飯田 僕は君を好きになってよかった だってこんなに苦しい こんなに最低な気持ちを抱かせてくれる ありがとう 飯田 君は最高だよ

 

『カラミざかり』は中途半端な青春群像劇に逃げることなく、かといって単に主人公が虚しさを感じて終わるのでもなく、変態は変態でいいのだという結末を迎えた。

 

昨今は性的マイノリティでさえ多様性の名のもとに自由を失っていく。性的マイノリティは本来、数的不利ゆえの強い親密性をもち、秘匿されればされるほど出会いや行為の快楽は大きくなる。ここにこそ彼らの存在意義があった。しかし、今や朝井リョウの言うようにマイノリティの中のマジョリティという現象がここかしこで見られ、トレンドになっていくなかで、彼らはむしろ窮地に立たされているような気がしてならない。彼らにもしも何か言うことがあるとすれば、それは『カラミざかり』のラストのような、人間をそのまま肯定するといった方向の言葉でしかないのではないか。

 

思えば、この世界で人間だけがぼくときみ、そしてもう1人という欲望の三角形に悩む動物である。そのもう一本の直線がぼくらを絶望に追いやるかと思えば、その逆に一瞬の形勢逆転、征服へと導くこともあるだろう。同じマンガで例えるなら、それは『キングダム』の元野党団の武将桓騎が劣勢の状況から奇策を用いて一気に敵将の目の前に現れ、首を取ってしまう残酷さに似ている。いかに事が順調に運んでいたと思っても、一瞬で現実は崩れ落ちる。寝取りとは、かくも人間とは一筋縄ではいかない生き物だということの何よりの証左ではないか。

 

どれだけの人生経験を積んでも、ぼくらが人間という社会的動物である限り、倫理に反く行為をすることがある。それが倫(みち)ならぬ行為であるところの不倫とも言う。

 

そして忘れてはならないのは、寝取りは人間の宿命と言っても過言ではないということだ。人は誰かを傷つけ、そして傷つけられて生きていく。道徳的説教などのつもりでは毛頭ない。人間のリビドーはぼくたちを寝取りへと誘うというだけのことなのである。いや、じっと待っているのか、あるいは向こうからやってくるのか。

 

 

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