コロナワールド4 ~命はたいせつ

黒船が上陸したと言う者もいた。

 

代議士は操り人形のようで、会議はたったの3分だった。

 

あれよあれよという間に全てが決まっていった。

 

大半の傍観者は未知のウイルスを過大にあるいは過小に評価し、挙げ句の果てには何事も変わらないままだった。

 

 

みな自粛した。

 

 

今から振り返れば効果も薄く、やってもやらなくても変わらなかった自粛を繰り返した。

 

 

ぼくには飲みに繰り出す博打打ちがたくましく思えた。彼らは自分の価値観を曲げなかったからだ。

 

かつて、90年代の荒野の時代を、援交少女たちはパンツを売ってまったりと生き延びたが、今のぼくたちには忍耐しかない。

 

 

 

楽観的な事実を示す数字を見ることはいくらでもできる。ネット上にもたくさん転がっている。出版もされている。でも傍観者はそれを見ることもしない。

 

分かり易い例を挙げよう。

 

令和3年の1月までのデータではコロナウイルスによる死者数は年間約3500人であった。*1

この数字は1年間のうち喉に食べ物を詰まらせて亡くなってしまう65歳以上の高齢者の数と同じくらいである*2(ちなみに先のコロナによる死者数全体のうち70〜80代は85%を占める)。

 

また、日本ではここ数年、年間自殺者数は約20,000人程で推移している。*31日に換算すれば54人が自らの命を絶っているのである。

 

ぼくが言っていることは死を数によって比較する生命への冒涜であり、コロナウイルスによる死者への敬意を欠いていると言われるかもしれない。

 

だがそれを言うなら、日頃から傍観者たちには生命に対する敬意を表してほしかった。自ら命を絶つものに対してもっと関心を示してほしかった。

 

 

コロナウイルスによる死者にだけはものすごく過敏に反応する態度は、命の選別と言わずして何と言うのだろう。

 

 

欧米各国と比較すれば死者数が劇的に少なく、パンデミックと呼ぶには程遠い状況であるにも関わらず、政府とメディアと傍観者は恐怖を煽り続けた。

 

コロナウイルスは指定感染症のレベルでは致死率20%以上のエボラ出血熱と同程度の措置がとれるようになっている。*4外出制限、入院勧告、就業制限、汚染された場所の消毒。コロナウイルスに関する統計データを見ればどれも行き過ぎた対応だとわかる。

 

 

それでも今、打っても打たなくても変わらないワクチンを大規模かつ粛々と接種するフェーズに移行している。

 

ワクチンは本来、打つことと打たないことのメリット・デメリットを天秤にかけ、メリットが大きい場合に接種するものだろう。

 

ここ1年間、大半の国民がコロナウイルスに感染していない事実があり、他方で、今回のmRNAワクチンは治験期間が極端に短く(あるいは治験は完了していない)、人体への影響も未知数であること。

 

むしろ、mRNAワクチンを接種した場合には、自己免疫疾患や致死的な臓器不全を起こすなど、様々なリスクが指摘されている。*5

 

そういった可能性は低く、そうならないように願うばかりである。しかし、もし数年後、身体に異変が起こったとしても、ワクチン接種との因果関係は不明、自己責任とされるだろう。

 

そもそも、急ぐ必要が全くないのに、未知数のものを人体に取り入れようとしている。改正健康増進法とやらはどこにいったんだい?

 

 

・・・

 

 

コロナ禍以降、自ら命を絶つ小中高生と女性が激増した。令和2年において自殺者は前者が前年比41.2%、後者は14.5%増であった。*6

 

自殺者の増加とコロナとの因果関係は分からないと言う人がいたとしたら、その言葉を未来の君にも投げかけてほしい。

 

 

 

数年後、ぼくたちは後悔することができるだろうか。

 

 

 

実態を見ようとせず、いたずらに恐怖を増幅させ、経済を、日常をメチャクチャにした。

 

それによってどれだけの人間が失業したり、死んでいったりしただろう。

 

「命はたいせつだ」というあまりにも無垢な道徳観がもたらした逆説をどれだけの人間が自覚しているだろう。

 

 

人工呼吸器につながれたまま生きていくことと、人生の最後に桜を眺めて死んでいくこと。

 

 

そのどちらに尊厳があり、充実した人生といえるのだろう。そんなことを考えた人間がどれだけいただろう。

 

 

・・・

 

 

今やこの島国では、大人たちみんなが夜に向かっておはようと言う。

 

 

きっとそれは空が見えないからではなく、朝陽を見ない方が楽だからだ。