連日ニュースではコロナウイルス感染者が何人という報道があり、もういい加減コロナワールドは終わってほしいと思う今日この頃です。
ハイ、みなさま。わたしMona Lisas and mad hatters。 これをどんな電子機器で読んでいるのか分からないけど、リアルタイムだよ。
今回のテーマは、現在流行しているコロナウイルスでございます。
現状は、4月7日から発令された緊急事態宣言は5月6日に解除されたものの、東京都ではコロナウイルス感染発表者が毎日100〜200人となるなど、パンデミック第二波が来そうな状況。
突然だけど、ブログを営む1人の物書きとして、このコロナウイルス・パンデミックの世の中に対して一筆書いておく必要があると思うので少し長い呟きを。
ぼくの文章は別に科学的エビデンスを基にした緻密な分析でもなければ、社会学的理論モデルに則った見方でもない、単なる感想なので暇すぎる人は読んでね。
というわけで、、コロナ以降の世の中を見て思ったこと。
→コロナウイルス感染症に対するぼくらの国民としての反応は教養にかけた愚かさに満ちている。
最もびっくりしたのは、
多くの人が、国に強権を発動してもらってまで集会の自由や移動の自由を制限してほしいと思っていること。
(参考にこういうのを見てほしい→)https://news.yahoo.co.jp/polls/domestic/41614/result
コロナウイルスでパニックになるのはけっこうだけど(まあこのウイルスでパニックになるようじゃ人類に未来はないと思うが)、それに乗じて人類が培ってきた集会や移動の自由まで手放そうとするのは自殺行為だろう。
こういった憲法上の様々な権利は国民が守らなければならない。なぜなら、国民は国家に対して「これこれは最低限侵害されてはならない」と約束したうえで憲法を制定したからだ。憲法は法律の上位にある。もし憲法で定められた自由や権利が国家から侵害されれば、国民は国家に抵抗しなければならない。憲法制定の歴史には国民と国家の約束があるのだ。
それなのに、今回のコロナパンデミックで、人が集まったり旅行したり飲み会したりを国が制限してくれと求める人々を見て驚愕した。本来国民が守らなければならない権利を国民自ら手放そうとしているのだ。
実際、コロナ以降のぼくたちの言動はおかしさに満ち溢れている。
政府の訳の分からない「自粛要請」を真に受け、飲食店には(たとえ客が1人もいなくても!)行かない、営業している店舗があれば密告する「自粛警察」なる狂った奴も出現し、10万円給付では周りの目を気にして辞退しようかなどと言う輩もいたようだ。
まるで国民は国家の奴隷であるかのよう。
ぼくらが心配すべきなのは、コロナウイルスによる疫学的被害ではなく、むしろ、人類が築き上げてきた自由や権利を自ら手放そうとしているという奴隷くん精神の蔓延だろう。