考える

「考える」とはどういったことだろうかとふと考える。

 

「考える」とは…と考える時点でぼくはもう「考え」ているのか(鍵カッコ使うのダルい笑)。

 

大学で学んだ数少ないことの一つとして、思考するには知識が必要ということ。論文を書く際は無から何も書くことはできないので、先行研究から始める。

例えばポピュリズムについて論文を書きたいのであれば、過去の政治学者や哲学者の著書を読みながら、ここの部分は反論できるとか、これよりはもっといい事例がありそうなどなど試行錯誤していくわけだ。

 

というわけで(?)、ぼくたちが普段考えるとか思考するとかいった言葉で表している営みとは何か。

 

無からものは考えられないのであれば、「考える」とは、知識という引き出しをうまく使って何かの事象に対応していくこと?(気難しい言い回し笑)

 

なんか違う気がする。

 

「考える」って、決してスムーズな様ではなくて、言葉に詰まりながらうーんうーんと唸りながらアイデアを捻り出そうとしていくことっぽいと思ってる。

 

もちろんその時にはインプットしているものを使っていくのだけど、もともと自分の中にある知識にどこかで抵抗しながら、あれこれ思う(デカルトの言葉をお借りします笑)ことこそが「考える」なのでは、などといい加減に「考え」てみました。