NTR

令和の時代を生きているぼくたちにとって、記憶に残っているマンガといえばやはり鬼滅の刃だろう。あるいは呪術廻戦か、約束のネバーランドか、あまりマンガ通ではないぼくにとってはその辺りしか答えられる作品がない。

 

そんな普段マンガをあまり読まないぼくが、裏マンガ史として、20代で衝撃を受けた作品はと言われれば、いわゆるNTR、寝取り系エロマンガの『カラミざかり』である。

 

ぼくがいくつか購入し、読んだ乏しい経験から言ってもNTR作品市場というのはかなりの規模である。その中で、他のどの作品とも毛色の違う、異質の輝きを放っていたのは『カラミざかり』だと思ったのである。

 

ここからはみなさんが『カラミざかり』を読んでいる前提で文章を書こうと思う。

 

物語の中で、主人公の高成とヒロインの飯田、寝取役である吉野貴史(ハゲ)、そしてもう1人の女性キャラクターである新山が主な登場人物である。みな高校生で、主人公高成は飯田が好きなのだが、ある日の下校中、ノリで貴史(ハゲ)の家でセックスが始まる。そこで、高成が恋するヒロイン飯田が貴史(ハゲ)に寝取られてしまうのである。

 

表現上の特徴として、全体的に情景や人物の描写はとても淡白で線的である。学校の休み時間の何気ない場面からセックスシーンまで、エフェクトが派手につけられることはなく、淡々と描かれていく。そこにはデビッドフィンチャーのテンポ良いカットを想起させるようなコマの運びが見られる。

 

描写において、ぼくが最も素晴らしいと感じるのはセリフがあまりないという点である。他のNTR作品を見れば明らかだが、行為中の擬音やセリフは量が多くかつ派手に描かれがちである。あるいは寝取りの回想シーンなどではとかく寝取られた側の悔しさや喪失感などの感情が事細かに吐露されている。こうしたセリフや感情の文字の量の多さは読者の時間を止めてしまう。ぼくたちは作品にのめり込むことを遮られ、性行為の描写や文字に集中してしまう。それに対して、同作品では性行為の前後、そして最中も余計なセリフは極力省かれている。興奮は吐息、汗、顔の火照り、陰部を抑える仕草で表され、性行為のシーンはベッドの軋む音、手の重ね方、唇の合わせ方、挿入から流れるように無駄なく、クライマックスにつれ大きく描かれる。だからこそ、寝取られ最中の高成の茫然自失とした黒い瞳と、事後の飯田の紅潮した頬とうつろな瞳がなんとも言えない余韻を読者に与えるのである。これは紛れもなく描写の力であろう。淡々と描写されるからこそ、ぼくたちはその余白部分において、この寝取りという行為に伴う悔しさ、喪失、憎しみなどの感情をじっくりと味わい、また、寝取りという行為の意味や倫理について考察できるのである。

 

『カラミざかり』は3部作品である。パート1は寝取られという喪失の始まり、パート2は喪失の徹底であり、パート3では寝取られという喪失を高成自身が性的嗜好へ昇華するというラストを迎える。

 

『カラミざかり』は見事に読者を裏切ってくれたのだと思う。高成は寝取られという喪失感から目を背けず、徹底的に自分をいじめ抜くという意味で、あくまで飯田に執着し続ける道を選んだ。彼は社会人になっても飯田と交流を続けており、彼女からセックス遍歴や犯された後日談を聴き続けることで寝取られを何度も追体験し、悔しさと喪失とマゾ的な快楽を何度も反復する。彼は物語の最後、次のように言うのである。

 

飯田 僕は君を好きになってよかった だってこんなに苦しい こんなに最低な気持ちを抱かせてくれる ありがとう 飯田 君は最高だよ

 

『カラミざかり』は中途半端な青春群像劇に逃げることなく、かといって単に主人公が虚しさを感じて終わるのでもなく、変態は変態でいいのだという結末を迎えた。

 

昨今は性的マイノリティでさえ多様性の名のもとに自由を失っていく。性的マイノリティは本来、数的不利ゆえの強い親密性をもち、秘匿されればされるほど出会いや行為の快楽は大きくなる。ここにこそ彼らの存在意義があった。しかし、今や朝井リョウの言うように、マイノリティの中のマジョリティという現象がトレンドになっていくなかで、彼らはむしろ窮地に立たされているような気がしてならない。彼らにもしも何か言うことがあるとすれば、それは『カラミざかり』のラストのような、人間をそのまま肯定するといった方向の言葉でしかないのではないか。

 

思えば、この世界で人間だけがぼくときみ、そしてもう1人という欲望の三角形に悩む動物である。そのもう一本の直線がぼくらを絶望に追いやるかと思えば、その逆に一瞬の形勢逆転、征服へと導くこともあるだろう。同じマンガで例えるなら、それは『キングダム』の元野党団の武将桓騎が劣勢の状況から奇策を用いて一気に敵将の目の前に現れ、首を取ってしまう残酷さに似ている。いかに事が順調に運んでいたと思っても、一瞬で現実は崩れ落ちる。寝取りとは、かくも人間とは一筋縄ではいかない生き物だということの何よりの証左ではないか。

 

どれだけの人生経験を積んでも、ぼくらが人間という社会的動物である限り、倫理に反く行為をすることがある。それが倫(みち)ならぬ行為であるところの不倫とも言う。

 

そして忘れてはならないのは、寝取りは人間の宿命と言っても過言ではないということだ。人は誰かを傷つけ、そして傷つけられて生きていく。道徳的説教などのつもりでは毛頭ない。人間のリビドーはぼくたちを寝取りへと誘うというだけのことなのである。いや、じっと待っているのか、あるいは向こうからやってくるのか。

 

 

https://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/detail/=/cid=d_136907/?i3_ref=search&i3_ord=4

 

ガールズバー

ハイスツールに腰掛けて、アメスピに火をつける。

 

ほんのりバニラの香りがする、暗めの小綺麗な店内が心地いい。

 

「どっかで飲んで来たんですか?」なんてお仕着せのあいさつから始まる。

 

でもままごとってやつは、当事者同士がベタさを自覚してやってるからこそ楽しいもんなんだ。

 

性搾取だって?そうだね。

 

ポリティカルコレクトネスの世の中では、ぼくは最低な性差別者だね。

 

でもぼくは潔く認めるよ。

 

合コンのような生殖のためのプログラムよりはいやらしくないって確信してるからね。

 

要するに、世間で言う道徳ってやつは自己破綻してるんだ。

 

 

この間は右も左もわからないような感じで

 

よそよそしくしてた君の方がよかったのにな。

 

今日はやけに積極的で、自信があるように見えるよ。

 

生意気なのは好きだけど、自信がある人間はやっぱり鼻持ちならないね。

 

 

成熟も責任も、本当は抗うべきものだよ。

 

みんな変に真面目になっちまった。

 

アリシアキーズとは違って、永遠の若さを約束する泉こそ求めているものだ。

 

 

それなのに、みんな正直にそう言わないんだ。

 

 

・・・

 

 

水割りがもはや水みたいになってきた。

 

やっぱりブルドックにしとけばよかったかな。

 

 

生身の匿名ってやつも悪くないね。

 

君と話してるとそう思うよ。

 

だから、誰でもいいってのは正しいし間違ってる。

 

「お酒強いですね!全然顔に出てないし。」

 

そうなんだ。

 

でも見かけによらずけっこう酔ってるから、

 

明日になれば君の顔なんてあんまり覚えてないんだよ。

 

次に会った時も髪形やメイクの些細な変化なんて気づかないから、初対面みたいなもんさ。

 

いずれにしても、君の顔と話し方は好きだよ。

 

無邪気っていう言葉が似合ってる。

 

親に感謝する前に、ブルデューでも読むべきだよ。

 

ところで君は人生を計画してたりするのかな?

 

バックドアとして、結婚にあやかるっていう生き方もあるよね。

 

その自慢の容姿を活かしてさ。

 

ぼくは計画しないけど、少なくともお墓には入らないつもりだよ。

 

 

 

 

成熟も責任も、本当は抗うべきものだよ。

 

みんな変に真面目になっちまった。

 

アリシアキーズとは違って、永遠の若さを約束する泉こそ求めているものだ。

 

 

それなのに、みんな正直にそう言わないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナワクチン~より大きな善のために

For the greater good  

 

コロナワールドはまだ終わらない。

 

コロナワクチン接種は問題を解決するどころか逆に問題を複雑化させている。

 

まず、コロナワクチン先進国であるイスラエルではワクチン接種の効果があまりないことが分かってきた。デルタ株の上陸以降、国民の8割近くがコロナワクチン2回接種を完了しているにもかかわらず、感染率も上昇し死亡者数も増加傾向にある。*1おそらく現状のワクチンではデルタ株に対して重症化予防効果が期待できないのだろう。

 

さらに、残念ながら、日本でのコロナワクチン大規模接種事業も、もしかすると徒労に終わる可能性が高い。なぜなら、デルタ株に関してはワクチンを接種していても人から人へ感染させるからである。デルタ株に感染した場合、ワクチン接種者の体内でも未接種者とほぼ同量のウイルスを生み出すという研究結果が公表されたのだ。*2これまでよく言われてきた「ワクチンを打たないと周りに迷惑をかける」という道徳的な説得は根拠がなかったことを意味する。

 

また、厄介なことに、コロナワクチンが原因でコロナの変異株が出現している可能性がある*3。フランスのウイルス研究の権威であるリュック・モンタニエ博士は次のように述べる。

・・・生命力の強いSARS-CoV-2ウイルスは、生き残りのため、ワクチンへの耐性を高めるために必死に自身を変異させ、また別の宿主(別の人間)にうつす力を高めました。その結果、薬への耐性が強く、さらに感染力の強い変異株が、ワクチン集団接種を実施している国、地域に大量発生しました。薬に耐性の強い変異に対して、現存のワクチンの防御力がなくなり、死亡率が上がります。同時に感染力の強い変異株の感染が拡大していきます。*4

実際に、上記の推測は数々の変異株の出現がコロナワクチン接種以降に重なることからも的外れとは言えないだろう。

 

以上の記述が示す重要なことは、コロナワクチンによる集団免疫獲得計画は崩壊したということである。コロナワクチンを打つ目的は集団免疫獲得であった。ところが、ワクチンを打っても人に感染させる、またワクチンを打つごとにワクチンを乗り越えるウイルスが出現するのであれば、コロナワクチンを大規模に接種する意義はどこにあるだろうか。*5

 

もうひとつ、重要な論点はコロナワクチンの副反応および長期的リスクである。

 

なぜか世間では接種翌日に熱が出たことや腕が上がらないことばかりが話題に上がるが、重要なのは今回のmRNAワクチン接種により人体で大量に作られるスパイクたんぱく質が人体に残り続ける恐れがあることだ。これにより、今後コロナ変異株や普通の風邪を引いたときに、キラーT細胞が人体に残っているスパイクタンパク発現細胞をいっせいに攻撃してしまうリスクがある。*6また、そもそもスパイクタンパクは新型コロナウイルス感染症でみられる肺炎、心血管障害、脳血管障害、神経疾患、血栓症といった多様な症状を引き起こす可能性が高いのである。*7

 

以上のような未来に起こり得るリスクももちろんだが、看過されてはならないのはコロナワクチン接種後の死亡についてである。

 

令和3年8月28日現在でコロナワクチン接種後死亡は1002人で接種との因果関係は不明だそうである。*8つまり、コロナワクチン接種によって亡くなったかもしれないしそうでないかもしれない事例が少なくとも1002件あるということである。コロナワクチン接種後に亡くなった27歳のプロ野球選手の死亡例*9や、異物が混入したモデルナワクチンを接種した30代男性が2人死亡した事例*10などは氷山の一角に過ぎないだろう。

 

以上、ここまでで簡単にコロナワクチンへの僕の見解を述べると、現時点でコロナワクチン接種による集団免疫確立は困難、そして接種後の死亡に関して1000件程度因果関係が不明なのであれば、因果関係が確定するまでは少なくとも職域接種などの集団接種は中止すべきである。そして、コロナ重症者に的を絞った治療薬の開発や導入という方策に転換すべきだろう。

 

コロナ死者ゼロを目指していた政府が、もしコロナワクチン死者ゼロを目指さないとすれば、それは「より大きな善のために」*11人々に犠牲になってくれと頼んでいるようなものである。

 

・・・

 

 

おそらくこの時代状況は大戦以来の錯誤であり、認知的不協和である。

 

手垢のついた戦争との比較はできれば避けたいところだったが、やむを得ない。

 

作家の猪瀬直樹氏が言ったように、コロナウイルスによって全世界で時が止まった、これは大戦以来だという指摘はそのとおりであるように思う。

 

驚くべきことに、言論統制も行われている。実際に、上記で引用したこの動画Dr.苫米地英人がコロナワクチンを解説 - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)

YouTube版はすでに削除されてしまった(ガイドラインに抵触するみたいな理由で)し、他にも削除された動画やら記事は数多くある。何らかの圧力があるとしか思えない状況である。ぼくが今回引用した情報ソースもいくつかは削除されるかもしれない。

 

削除の理由はコロナワクチンに関する誤った情報を広めているからということのようだ。しかし、可能性やリスクの話をしたらそれは誤った情報なのであろうか。そんなに躍起になって削除せずとも、誤りやデマは実験によって証明されるだろう。むしろ、そのように言論検閲、統制、封殺する態度そのものが、コロナワクチンに関してなにかやましいことがあるのではないかという人々の疑問を駆り立ててしまう。

少しでもコロナワクチンに不利な情報が出るとすぐさま規制される現状は異常であることは間違いない。

 

戦時下の日常を追体験することで分かることは2つある。

 

一つは、大きな流れに対抗する言論は驚くほど力をもたないこと、そして2つ目は物事は驚くほどにひとつの方向に流れてゆくことだ。

 

日常は拍子抜けするほど「平和」であり、自覚している者とそうでない者では相当見えている景色が異なっている。とはいえ、自覚できた者ができることはあまりないのである。

 

ぼく自身、テレビはもちろんのこと、最近はLINEニュースさえも見ないように心がけている。すべてが何か大きな流れに沿ったニュースに見えてしまうからだ。

 

陰謀論が出てくるのにはきっと理由がある。今ある大きな流れとは別の、違うストーリーを考えなくては納得できないからだ。

 

実際に大きな流れがもしあるのだとしたら、おそらくグローバル企業の利権である。実際、mRNAワクチン開発者のロバート・マローン博士がTwitterで「イスラエルファイザーは今後10年間コロナワクチンの有害事象報告は挙げないことで合意した」という趣旨のツイートをした。*12

 

脳機能学者の苫米地英人氏によれば、おそらく国と製薬会社が事前に合意したものしかワクチンの副反応被害は救済されず、国が事前承認済みの副反応以外を認めれば国が製薬会社から訴えられるだろうとのことである。*13

 

グローバル企業が国の司法よりも上の立場で世の中を動かしていくことはデマでも陰謀論でもなく、TPP以降の常識となっている。実際、過去にアメリカの製薬会社がカナダの法廷での決定に対して訴訟を起こした例がある。

 

アメリカの製薬会社の Eli社の場合は、こうです。 ・・・ Eli社は、彼らの特許権の延長をカナダの法廷が認めなかったことを不服とし、600億円の賠償請求をしています。・・・ここで考えなければいけないことは「一国の裁判所の判断を他国の一私企業が納得がいかないからといって訴えても却下されていない」という事実です。勝敗がどうであれ、これは内政干渉とも言える事態なのです。*14

 

 

*15

 

・・・

 

そもそも、ぼくたちが立っていた前提は正しいのだろうか。

 

コロナ陽性者と感染者とは?コロナ陽性とはPCR検査でコロナウイルスの死骸も含めたウイルスが検出されることであり、当然無症状者も含まれる。*16そもそも、PCR検査はCT値をあげればいくらでも陽性判定ができてしまうことはよく知られるようになった。

 

ぼくたちがこれまで見てきた数字は何だったのだろう。実態はもっと楽観視してよいものなのではないか?実際、デルタ株云々と騒がれている現在(令和3年8月25日時点)でさえ、コロナ死者数は13585人、20代・30代の重症者割合は0%である。*17日本で毎年2万人自殺しているとき、みんなこんなに騒いだだろうか。ブースター接種などと言って3回目のワクチンを今後打っていったとき、いったい何人の人間が因果関係不明で死んでいくだろうか。

 

コロナワクチン接種による死者を許容するのに、どうしてコロナ感染による死者は許容できないのだろうか。どちらも同じ博打であれば、許容できる博打とそうでない博打があるのはどうしてだろう。その境界線を倫理と呼ぶのであれば、世の中はいよいよ狂っていると言わなければならない。

 

「より大きな善」はたしかにこの世にあり、そのために死亡者が出ようとも世の中が動いていくことが明らかになった。

 

コロナワクチン接種により重篤な副反応が出ようが死者が出ようが、一度設定された「より大きな善」ーコロナによる死者は1人も出さないーのためならば、この国は、というより世界はどこまでも不合理なことをするだろう。それは誰も逆らうことのできない大きな濁流であり、境界線が引かれてしまったが最後、もう後戻りはできない。

 

すでに集団接種の根拠が潰えたワクチンをいまだに推進する政治家や医師や専門家の動機はなんだろう。決断することへの恐れや怠惰、今さら引くに引けぬという燃えカス程度の意地、あるいは補償金に釣られて職業倫理を捨ててしまったのか、あるいは、特に政治家は製薬会社との契約によって接種推進することが義務付けられているのだろうか。

 

いずれにせよ、この世界の流れを自覚した者にできることはほとんどない。

 

夕暮れ時になると、幼いころによく聴いたドヴォルザーグの「遠き山に日は落ちて」が頭の中をゆったりと流れてくる。今もこれを聴くと、一日が終わっていく寂しさのような感情が湧いてくる。だが、それと同時に、今はこの調べが、永井荷風が鐘の音に見出したような忍辱と諦悟のささやきとして、ぼくを慰めてくれる。

 

 

 

 

 

*1:接種率78%「イスラエル」で死亡者増加のなぜ | The New York Times | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)

*2:CNN.co.jp : デルタ株、感染したらワクチン接種者でも同じウイルス量 米CDC デルタ株、ワクチン接種後感染者も感染広げる可能性、証拠を確認 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト (nikkeibp.co.jp)

*3:ファイザー社「コロナワクチンの “耐性変異種”が登場する可能性あり」(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース 

*4:ワクチン集団接種は変異種発生の原因!? | オピニオンの「ビューポイント」 (vpoint.jp)

*5:Microsoft PowerPoint - ②ー2~6【旧⑤ー2~4】発生動向グラフ20210825 (mhlw.go.jp) コロナワクチンによって重症化が防げているのだからワクチン接種に意義があるという意見はもっともである。しかし、それならば、もともと重症者が他国に比べて非常に少ない日本で、若年者も含めて集団接種とする意味はあったのかは問われなければならない。

*6:YouTube版は削除されたのでこれももしかしたら消される⇒Dr.苫米地英人がコロナワクチンを解説 - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)

*7:ワクチンでも作られるスパイクタンパク質が単独で体にダメージを与える可能性(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

*8:ワクチン接種後死亡1002人「接種と因果関係」結論づけられず | 新型コロナ ワクチン(日本国内) | NHKニュース

*9:中日・木下雄介氏が死去 「ワクチン接種」に選手から不安の声 (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)

*10:モデルナ製ワクチン接種30代男性2人死亡、因果関係は不明 異物混入瓶と同時期同工場製造の別ロット:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

*11:【ファンタビ】グリンデルバルドのキャスティングに批判?!ジョニー・デップ演じる映画の見どころ (castel.jp)

*12:Robert W Malone, MDさんはTwitterを使っています 「This is key to understanding "what the heck is going on". Apparently in Israel, I am told by Israeli scientist, the agreement between Pfizer and the government is that no adverse events from the vax are to be disclosed for a minimum of 10 years.」 / Twitter

*13:同氏のTwitterより。コロナワクチンに関する一連のツイートを大意としてまとめたもの。

*14:『TPPに隠された本当の恐怖: ついに明らかになった危険すぎるシナリオ』苫米地 英人著

https://a.co/0ubm6xE

*15:TPP解説「苫米地英人」国家を企業が支配する時代に - YouTube

TPP協定のISDS条項の危険性を告発 公共の福祉が攻撃対象に | 国会報告 | 山添 拓 参議院議員・日本共産党 (yamazoetaku.com)

*16:PCRを日々使っている野村慶太朗社長が、皆が知るべき大前提を書いています。「日本は完全に狂っている!」 - 思索の日記 (クリックで全体が表示されます) (goo.ne.jp)

*17:Microsoft PowerPoint - ②ー2~6【旧⑤ー2~4】発生動向グラフ20210825 (mhlw.go.jp)

『暇と退屈の倫理学』 雑な要約

●資本主義・消費社会化⇒暇が搾取されている。退屈な時間をどう使えばいいかわからない。暇の中で退屈してしまう。 *ついYouTubeを見てしまう現代人

 

パスカルの引用 人々は退屈に耐えられないから気晴らしを求める。

例 ウサギ狩りに行く人はウサギを求めているのではない。

部屋でじっとしていられず、退屈に耐えられない人間とは苦しみを求める人間のことだ。 *人間はみなドM集団だ

 

●人類史的視点 400万年前に二足歩行の人類誕生。遊動生活が基本であった時代。

⇒移動のたびに新しい環境に適応しなければならない。常に五感を研ぎ澄ましている。食料や水はどこでとれるか、河を渡るにはどうするか、寝る場所はどこにあるのか。

⇔今から約1万年前に人類は定住生活を始める(定住革命)。人間は退屈を回避する必要に迫られる。大脳を使う別の場面が求められる。それが技術の発展や政治システムなどの文明の発展につながった。

 

●暇=何もすることがない時間 退屈=何かをしたいのにできないという感情・気分

 

●消費社会論 記号消費の問題は退屈の問題。消費者は退屈している。消費社会で問題提起すべきは、実は暇をどう生きるか、退屈をどうするかという問題。

浪費は豊かであることの証であり、限界がある。人は満腹になり、一度にたくさんの服を着ることはできない。そこには身体的な限度がある。

例 狩猟採集生活においては経済計画性もなく貯蓄もしないから、手に入れた食料は一度ですべて食べつくす。彼らは大変な浪費家であり贅沢な生活を送っている。

⇔消費社会は浪費を許さない社会のこと。消費は物を受け取らないし、限界がない(*モデルチェンジすると人はついそれを買ってしまう)から延々と繰り返される。人は消費では満足感を得られず、消費は過剰になる。

 

⇒消費社会のアンチテーゼは「贅沢をさせろ」

 

ハイデッガーの退屈の整理

退屈の第一形式=駅で電車を待つ人。電車が来てくれないから駅にひきとめられている。本を読んだりして気晴らしする。

退屈させる対象があり、それへの対抗措置として気晴らし(暇つぶし)を行う。 

*現代的な例 ラーメン屋で行列。ラーメンが来てくれないので列にひきとめられている。

 

退屈の第二形式=パーティに行ってお酒を飲んだり談笑したりしてそれなりに楽しかったが何となく退屈してしまった。実はパーティそのものが気晴らしであった。

気晴らしであるはずのものそれこそが退屈であった。 

*現代的な例 会社の飲み会

 

⇒退屈の第二形式こそ現代で最も身近な退屈のありかた。必要だと思っていること、受験勉強も労働も気晴らしかもしれない。すべてがそうではないにせよ、私たちの日常は気晴らしと退屈が複雑に絡み合っている。

 

退屈の第三形式=「何となく退屈だ」という最も深い退屈。逃れようもなく聞こえてくる退屈だという声。

⇒だからこそ、退屈の第三形式は人間は自由だという可能性を示している。

⇒人間は「決断」することによって自由になることができる(とハイデッガーは言うが、、、)。

 

退屈の第三形式=第一形式

「何となく退屈だ」という声を聞き、「決断」した対象に対して人々は奴隷になる(ここでも結局気晴らしが行われることになり、退屈を与える対象への対抗措置としての気晴らしという第一形式にループする)。

簡単に破棄できるものであれば「決断」とは言えない。人は「決断」した内容に従わなければならない。

 

退屈の第二形式こそ退屈と切り離せない生を生きる人間の姿そのものではないか。

 

退屈の第二形式は人間が人間として生きていくことのつらさをやり過ごすために開発してきた知恵ではないか。

退屈と向き合うことを余儀なくされた人間は文化や文明を発達させ、衣食住を着飾ることによって人々の心を豊かにする営みを続けてきた。

=人間が人間らしく生きること、退屈の第二形式を生きること。

 

●動物と人間

ハイデッガーは人間は退屈できる(がゆえに自由)だと考えている。

と同時に、動物は退屈しないと考えている。

 

すべての生物は別々の時間と空間を生きている=「環世環」という概念(理論生物学者ユクスキュル)

どんな生物も客観的な世界のなかで生きているわけではなく、その生物が具体的に経験する世界がそれぞれある。 

例 ダニは人間のように森の中で空気を感じ、光や足場の悪さを感じているのではなく、①酢酸のにおい ②摂氏37度の温度 ③体毛の少ない皮膚組織の順番にシグナルを感じ取ることで(獲物を求めてでも血を吸うためでもなく)ダイビングする。

 

動物は特定のシグナルに〈とりさらわれ〉ている。つまりとらわれている(から退屈しない)。(ハイデッガー

⇒とらわれることがない人間は退屈する。

 

●人間らしい生ともう一つの希望

 

人はものを考えなくてもいいように「習慣」を創造する。安定した環世界を獲得する。

ドゥルーズ 人はショックをうけるとものを考える=「不法侵入」。

*3.11

一方、人間は他の動物に比べて比較的高い環世界間移動能力を持っている。

 

人間らしい生(退屈の第二形式)から外れて別の環世界に移行する。その対象(*3.11)は人間の頭から離れない=〈とりさらわれ〉て〈動物〉になること。

 

 

・・・

 

消費社会が網の目のように張り巡らされた現代においては倫理学=生き方の提示は難しい。

何を買っても浪費には至らず、記号消費に取り込まれてしまう。

退屈の第二形式的な生き方を客観化し、程よく諦めることくらいしかぼくらに残された術はないのか。

<動物>化するにせよ、世界が崩れるような衝撃的なニュースも大きな物語なき世界においては次々と更新されてゆく。「事件が事件として完結し難」いのだ(山崎正和「曖昧への冒険」)。そんな時代にあって人々はほんとうにショックを受けることができるか。

 

 

ホルモン

もう講義も終わる頃だ。

 

長机が6個ばかり並んだ狭い教室で、学生8人は死んだような顔してる。

クリントン政権下で国民皆保険制度が失敗した理由なんて誰も興味ないんだろう。

 

いつの間に外は暗くなってて、赤レンガの広場では学生たちがたむろしてる。

乗り合いの車を待ってるやつら。みんなサークルに行くんだな。

 

飲酒とセックスしかやることのない田舎ではみんな怠惰に生きてる。

 

いつも年齢確認される薬局でアルパカの白ワインとコンドームを買おうとしてたらトモヤが飲みに誘ってきた。

 

 

カウンター4席と座敷のテーブル席が2つばかりの汚い店。大好きなハチノスをアテに、頭の悪そうなバカでかいサイズのジョッキでビールを一気に飲み干した。

 

壁に並んだ木の札のメニューはタバコのヤニと肉を焼く煙で黄色く脂まみれになってる。

でも誰もメニューなんて見てないからこれでいいんだ。

 

 

顔が真っ白になって白昼夢みたいな状態になってきた。

 

コカレロでトドメを刺されたかな。

 

ユリカっていう後輩の女子の顔にペンで「肉便器」って書いてやった。ぼくの膝の上で笑ってるよ。

 

シオリが「ねえ、いいでしょう?」なんて言って、ぼくを誘惑してくる。

 

「この日本酒飲んでくれたらね。」

 

彼女がそれを飲み終えるとすぐさま、彼女の後頭部を掴んで押し付けるようにキスした。

 

店主はヴェポライザーの煙を天井までふかして静観してる。

 

尿がこびりついて黄色くなった便器に顔を突っ込むようにして吐いた。胃液の味が気持ち悪い。その辺に転がってる靴に吐かなかっただけマシさ。

 

もう2度と酒なんか飲むもんかって、思ってみるだけ。

 

・・・

 

 

タバコの煙と喧騒がぼくを現実に引き戻す。

 

「どうしてわたしの気持ちを分かってくれないの?」ってカナさんが泣いてる。

 

先輩も男運がないんだね。この先もずっとそうなんじゃない?

 

カズは罰ゲームで土下座してた。こぼした酒と泥にまみれた汚い床の上で。

 

スズカは気持ちがいいくらいの飲みっぷりで、機嫌が悪かった。ダンサーだったか俳優だったか忘れたけど、睡眠薬を服用してる彼氏とケンカでもしたのかな。

 

宥めようとしたぼくの手に噛み付いてきて、くっきり歯形がついた。その後強引にキスしてきた。マルボロのメンソールの味がした。

 

彼女を送って行くのがめんどくさくなって、その場にいたモデルみたいに足が細い男子の家に詰め込んできた。

 

トモヤと一緒に今にも潰れそうなラーメン屋で、美味くないラーメンをすすった。

 

どうせ後で吐くって分かってるのに。

 

 

もう2度と酒なんか飲むもんかって、思ってみるだけ。

コロナワールド4 ~命はたいせつ

黒船が上陸したと言う者もいた。

 

代議士は操り人形のようで、会議はたったの3分だった。

 

あれよあれよという間に全てが決まっていった。

 

大半の傍観者は未知のウイルスを過大にあるいは過小に評価し、挙げ句の果てには何事も変わらないままだった。

 

 

みな自粛した。

 

 

今から振り返れば効果も薄く、やってもやらなくても変わらなかった自粛を繰り返した。

 

 

ぼくには飲みに繰り出す博打打ちがたくましく思えた。彼らは自分の価値観を曲げなかったからだ。

 

かつて、90年代の荒野の時代を、援交少女たちはパンツを売ってまったりと生き延びたが、今のぼくたちには忍耐しかない。

 

 

 

楽観的な事実を示す数字を見ることはいくらでもできる。ネット上にもたくさん転がっている。出版もされている。でも傍観者はそれを見ることもしない。

 

分かり易い例を挙げよう。

 

令和3年の1月までのデータではコロナウイルスによる死者数は年間約3500人であった。*1

この数字は1年間のうち喉に食べ物を詰まらせて亡くなってしまう65歳以上の高齢者の数と同じくらいである*2(ちなみに先のコロナによる死者数全体のうち70〜80代は85%を占める)。

 

また、日本ではここ数年、年間自殺者数は約20,000人程で推移している。*31日に換算すれば54人が自らの命を絶っているのである。

 

ぼくが言っていることは死を数によって比較する生命への冒涜であり、コロナウイルスによる死者への敬意を欠いていると言われるかもしれない。

 

だがそれを言うなら、日頃から傍観者たちには生命に対する敬意を表してほしかった。自ら命を絶つものに対してもっと関心を示してほしかった。

 

 

コロナウイルスによる死者にだけはものすごく過敏に反応する態度は、命の選別と言わずして何と言うのだろう。

 

 

欧米各国と比較すれば死者数が劇的に少なく、パンデミックと呼ぶには程遠い状況であるにも関わらず、政府とメディアと傍観者は恐怖を煽り続けた。

 

コロナウイルスは指定感染症のレベルでは致死率20%以上のエボラ出血熱と同程度の措置がとれるようになっている。*4外出制限、入院勧告、就業制限、汚染された場所の消毒。コロナウイルスに関する統計データを見ればどれも行き過ぎた対応だとわかる。

 

 

それでも今、打っても打たなくても変わらないワクチンを大規模かつ粛々と接種するフェーズに移行している。

 

ワクチンは本来、打つことと打たないことのメリット・デメリットを天秤にかけ、メリットが大きい場合に接種するものだろう。

 

ここ1年間、大半の国民がコロナウイルスに感染していない事実があり、他方で、今回のmRNAワクチンは治験期間が極端に短く(あるいは治験は完了していない)、人体への影響も未知数であること。

 

むしろ、mRNAワクチンを接種した場合には、自己免疫疾患や致死的な臓器不全を起こすなど、様々なリスクが指摘されている。*5

 

そういった可能性は低く、そうならないように願うばかりである。しかし、もし数年後、身体に異変が起こったとしても、ワクチン接種との因果関係は不明、自己責任とされるだろう。

 

そもそも、急ぐ必要が全くないのに、未知数のものを人体に取り入れようとしている。改正健康増進法とやらはどこにいったんだい?

 

 

・・・

 

 

コロナ禍以降、自ら命を絶つ小中高生と女性が激増した。令和2年において自殺者は前者が前年比41.2%、後者は14.5%増であった。*6

 

自殺者の増加とコロナとの因果関係は分からないと言う人がいたとしたら、その言葉を未来の君にも投げかけてほしい。

 

 

 

数年後、ぼくたちは後悔することができるだろうか。

 

 

 

実態を見ようとせず、いたずらに恐怖を増幅させ、経済を、日常をメチャクチャにした。

 

それによってどれだけの人間が失業したり、死んでいったりしただろう。

 

「命はたいせつだ」というあまりにも無垢な道徳観がもたらした逆説をどれだけの人間が自覚しているだろう。

 

 

人工呼吸器につながれたまま生きていくことと、人生の最後に桜を眺めて死んでいくこと。

 

 

そのどちらに尊厳があり、充実した人生といえるのだろう。そんなことを考えた人間がどれだけいただろう。

 

 

・・・

 

 

今やこの島国では、大人たちみんなが夜に向かっておはようと言う。

 

 

きっとそれは空が見えないからではなく、朝陽を見ない方が楽だからだ。

 

 

 

 

ぼくはコロナワクチンは接種しません。

ぼくは昔から注射が嫌いである。

 

先端恐怖症とやらではないのだけど、針の鋭い先端が皮膚を貫き肉をえぐっていく感触、チクっと来て脳みその一番遠いところにまで届くような痛み、透明なチューブをぐんぐん進んでいくドス黒い血液。

 

ほんとうに、心の底から注射を憎む。

 

毎年毎年、頼んでもいない健康診断とやらで、どうして針を身体に刺されなければならないのか。そもそも、健康を測りに行って、どうして傷つけられて帰ってくるのだろう。薬局に売っているタバコ、賭博禁止の国のパチンコくらい笑えるパラドックスではないか。

 

そんなぼくだから、コロナワクチンの接種を拒否するのだ。なぜって、注射が嫌だから。

 

とはいえ、これは実は単純なようで理にかなっていると個人的に思っているのだ。

 

つまり、コロナワクチンは打っても打たなくても変わりないと思っている。

 

まず、①ワクチンで必ずコロナを予防できるわけではない

 

例えばインフルエンザワクチンにしてみても、ワクチンを打ったとして違う型のインフルエンザにかかったなんて笑い話はよく聞くだろう。それと同じで、コロナウイルスも刻々と変化を遂げており、変異株なるものも続々と出現しているらしい。

今さら言うまでもなく、ワクチンは絶対の防御ではない。

 

さらに、②ワクチンを打ったところでコロナ以降の生活が変わるわけではない

 

ぼくたちはしばらく、コロナで身につけたこの素晴らしい生活様式を手放せないだろう。

 

ここ一年とちょっとで、マスクをしよう、人とは距離を取ろう、手洗いうがいをして清潔でいよう、不要不急の外出はやめておこうといった新しい生活様式なる大層立派なライフスタイルは国民に浸透してきた。

 

旅行も飲み会もお祭りも、「別になくてもいいもの」に成り下がった。それらは不要不急でいつでも中止され得るものと認識されるに至った。

 

(ぼくは欲望に負けて博打に打って出る通常営業の人間たちに賭ける立場なので、得意の選択性痴呆症を存分に発揮し、コロナのことはあと数年経てば忘れてくれると信じているが、、、)

 

 

・・・

 

ぼくは日頃電子タバコを吸う。

 

電子タバコは壮大な人体実験の最中である。

 

サンプル数もまだ少なく、身体への害悪も正確なところはまだ分かっていない。

 

ところで、今回のコロナワクチンの治験に要した期間は10ヶ月程度だったそうである。

 

ぼくには、コロナワクチンと電子タバコはそう遠くはないことの話をしているように思えてならない。

 

最近、聞けば聞くほど、コロナワクチンはどうも怪しさに満ちていると感じる。

 

コロナワクチン接種後の死亡例が各国で相次いでいること、治験を担当した有名病院の理事長はモデルナ社重役を兼任し、8億円相当の株券を供与されていたこと。

 

内科医shamanseirenさんの「コロナストーリー」の通り、コロナワクチン接種事業を通じて管理社会化と人口削減を実現しようとしている何者かがいるとすれば、Netflixでドラマ化してほしいくらいには大変興味深い。

 

陰謀論といえば陰謀論だが、結局、歴史は勝者がつくる。壮大な計画の存在は常に、ネタとベタの狭間でうやむやにされてきた(ビルゲイツ!頼むぞ!笑)。

 

彼の言葉に倣えば、ぼくらは祈るしかない。

 

敵対者に?いや、10年後のぼくらに、だろう。

 

 

 

 

解説として

https://youtu.be/WEM2xoyz900

 

刺激として

https://ameblo.jp/shamanseiren/entry-12676339283.html