ホルモン

もう講義も終わる頃だ。

 

長机が6個ばかり並んだ狭い教室で、学生8人は死んだような顔してる。

クリントン政権下で国民皆保険制度が失敗した理由なんて誰も興味ないんだろう。

 

いつの間に外は暗くなってて、赤レンガの広場では学生たちがたむろしてる。

乗り合いの車を待ってるやつら。みんなサークルに行くんだな。

 

飲酒とセックスしかやることのない田舎ではみんな怠惰に生きてる。

 

いつも年齢確認される薬局でアルパカの白ワインとコンドームを買おうとしてたらトモヤが飲みに誘ってきた。

 

 

カウンター4席と座敷のテーブル席が2つばかりの汚い店。大好きなハチノスをアテに、頭の悪そうなバカでかいサイズのジョッキでビールを一気に飲み干した。

 

壁に並んだ木の札のメニューはタバコのヤニと肉を焼く煙で黄色く脂まみれになってる。

でも誰もメニューなんて見てないからこれでいいんだ。

 

 

顔が真っ白になって白昼夢みたいな状態になってきた。

 

コカレロでトドメを刺されたかな。

 

ユリカっていう後輩の女子の顔にペンで「肉便器」って書いてやった。ぼくの膝の上で笑ってるよ。

 

シオリが「ねえ、いいでしょう?」なんて言って、ぼくを誘惑してくる。

 

「この日本酒飲んでくれたらね。」

 

彼女がそれを飲み終えるとすぐさま、彼女の後頭部を掴んで押し付けるようにキスした。

 

店主はヴェポライザーの煙を天井までふかして静観してる。

 

尿がこびりついて黄色くなった便器に顔を突っ込むようにして吐いた。胃液の味が気持ち悪い。その辺に転がってる靴に吐かなかっただけマシさ。

 

もう2度と酒なんか飲むもんかって、思ってみるだけ。

 

・・・

 

 

タバコの煙と喧騒がぼくを現実に引き戻す。

 

「どうしてわたしの気持ちを分かってくれないの?」ってカナさんが泣いてる。

 

先輩も男運がないんだね。この先もずっとそうなんじゃない?

 

カズは罰ゲームで土下座してた。こぼした酒と泥にまみれた汚い床の上で。

 

スズカは気持ちがいいくらいの飲みっぷりで、機嫌が悪かった。ダンサーだったか俳優だったか忘れたけど、睡眠薬を服用してる彼氏とケンカでもしたのかな。

 

宥めようとしたぼくの手に噛み付いてきて、くっきり歯形がついた。その後強引にキスしてきた。マルボロのメンソールの味がした。

 

彼女を送って行くのがめんどくさくなって、その場にいたモデルみたいに足が細い男子の家に詰め込んできた。

 

トモヤと一緒に今にも潰れそうなラーメン屋で、美味くないラーメンをすすった。

 

どうせ後で吐くって分かってるのに。

 

 

もう2度と酒なんか飲むもんかって、思ってみるだけ。

ホワイトホース

あの時のぼくが今のぼくに繋がっているかどうかなんて知る術もないんだ。

 

こんなことを言うのは恥ずかしいことだって?

 

そんなの重々承知さ。

 

どこまでも自己反省的なぼく自身も含めてね。

 

こんなことを考える暇もなく人生は過ぎて行く。

 

きりがないんだ。

 

いつの間にか50歳になってたりしてね。

 

 

・・・

 

 

ぼくの系譜を突き詰めていっても意味がないのかもしれない。

 

いつまでも醒めない夢なんだって。

 

寝ぼけた朝にコーヒーをドリップしながら、

 

『Sincerity Is Scary』のメロディーが心地いい。

 

孤独だって思うかい?

 

そうだね。

 

でも、それが今のぼくにとっては何不自由ないっていうこと、まさにそのものなんだ。

 

幸福っていうのとはちょっと違うのかもね。

 

 

・・・

 

 

あの子がぼくに恋しているかもしれない。

 

下心から彼女を褒めることはよそうと思う。

 

そんな見え透いたぼくは、未来のぼくから見たらどんな風に映るだろう。

 

 

今を純粋に楽しめなくなってしまったんだ。

 

それがいいことなのか悪いことなのかもよく分からないよ。

 

 

・・・

 

 

失敗してもいいから好きなように行動しなよ。

 

言いたいことを言いなよ。

 

嫌われてもいいさ。

 

でもきっと、そんなのは観客の目線なんだ。

 

君たちは嗤うだろうね。

 

でも意外と、嗤う犬はロマンを求めているってことも知ってるさ。

 

だから、汚くていい。

 

ちょっと汚いそぶりを見せるくらいがちょうどいい。

 

清廉潔白なんていつか潰れちまうぜ。

 

 

ぼくは今のところ、無理はしないけどね。

コロナワールド4 ~命はたいせつ

黒船が上陸したと言う者もいた。

 

代議士は操り人形のようで、会議はたったの3分だった。

 

あれよあれよという間に全てが決まっていった。

 

大半の傍観者は未知のウイルスを過大にあるいは過小に評価し、挙げ句の果てには何事も変わらないままだった。

 

 

みな自粛した。

 

 

今から振り返れば効果も薄く、やってもやらなくても変わらなかった自粛を繰り返した。

 

 

ぼくには飲みに繰り出す博打打ちがたくましく思えた。彼らは自分の価値観を曲げなかったからだ。

 

かつて、90年代の荒野の時代を、援交少女たちはパンツを売ってまったりと生き延びたが、今のぼくたちには忍耐しかない。

 

 

 

楽観的な事実を示す数字を見ることはいくらでもできる。ネット上にもたくさん転がっている。出版もされている。でも傍観者はそれを見ることもしない。

 

分かり易い例を挙げよう。

 

令和3年の1月までのデータではコロナウイルスによる死者数は年間約3500人であった。*1

この数字は1年間のうち喉に食べ物を詰まらせて亡くなってしまう65歳以上の高齢者の数と同じくらいである*2(ちなみに先のコロナによる死者数全体のうち70〜80代は85%を占める)。

 

また、日本ではここ数年、年間自殺者数は約20,000人程で推移している。*31日に換算すれば54人が自らの命を絶っているのである。

 

ぼくが言っていることは死を数によって比較する生命への冒涜であり、コロナウイルスによる死者への敬意を欠いていると言われるかもしれない。

 

だがそれを言うなら、日頃から傍観者たちには生命に対する敬意を表してほしかった。自ら命を絶つものに対してもっと関心を示してほしかった。

 

 

コロナウイルスによる死者にだけはものすごく過敏に反応する態度は、命の選別と言わずして何と言うのだろう。

 

 

欧米各国と比較すれば死者数が劇的に少なく、パンデミックと呼ぶには程遠い状況であるにも関わらず、政府とメディアと傍観者は恐怖を煽り続けた。

 

コロナウイルスは指定感染症のレベルでは致死率20%以上のエボラ出血熱と同程度の措置がとれるようになっている。*4外出制限、入院勧告、就業制限、汚染された場所の消毒。コロナウイルスに関する統計データを見ればどれも行き過ぎた対応だとわかる。

 

 

それでも今、打っても打たなくても変わらないワクチンを大規模かつ粛々と接種するフェーズに移行している。

 

ワクチンは本来、打つことと打たないことのメリット・デメリットを天秤にかけ、メリットが大きい場合に接種するものだろう。

 

ここ1年間、大半の国民がコロナウイルスに感染していない事実があり、他方で、今回のmRNAワクチンは治験期間が極端に短く(あるいは治験は完了していない)、人体への影響も未知数であること。

 

むしろ、mRNAワクチンを接種した場合には、自己免疫疾患や致死的な臓器不全を起こすなど、様々なリスクが指摘されている。*5

 

そういった可能性は低く、そうならないように願うばかりである。しかし、もし数年後、身体に異変が起こったとしても、ワクチン接種との因果関係は不明、自己責任とされるだろう。

 

そもそも、急ぐ必要が全くないのに、未知数のものを人体に取り入れようとしている。改正健康増進法とやらはどこにいったんだい?

 

 

・・・

 

 

コロナ禍以降、自ら命を絶つ小中高生と女性が激増した。令和2年において自殺者は前者が前年比41.2%、後者は14.5%増であった。*6

 

自殺者の増加とコロナとの因果関係は分からないと言う人がいたとしたら、その言葉を未来の君にも投げかけてほしい。

 

 

 

数年後、ぼくたちは後悔することができるだろうか。

 

 

 

実態を見ようとせず、いたずらに恐怖を増幅させ、経済を、日常をメチャクチャにした。

 

それによってどれだけの人間が失業したり、死んでいったりしただろう。

 

「命はたいせつだ」というあまりにも無垢な道徳観がもたらした逆説をどれだけの人間が自覚しているだろう。

 

 

人工呼吸器につながれたまま生きていくことと、人生の最後に桜を眺めて死んでいくこと。

 

 

そのどちらに尊厳があり、充実した人生といえるのだろう。そんなことを考えた人間がどれだけいただろう。

 

 

・・・

 

 

今やこの島国では、大人たちみんなが夜に向かっておはようと言う。

 

 

きっとそれは空が見えないからではなく、朝陽を見ない方が楽だからだ。

 

 

 

 

ぼくはコロナワクチンは接種しません。

ぼくは昔から注射が嫌いである。

 

先端恐怖症とやらではないのだけど、針の鋭い先端が皮膚を貫き肉をえぐっていく感触、チクっと来て脳みその一番遠いところにまで届くような痛み、透明なチューブをぐんぐん進んでいくドス黒い血液。

 

ほんとうに、心の底から注射を憎む。

 

毎年毎年、頼んでもいない健康診断とやらで、どうして針を身体に刺されなければならないのか。そもそも、健康を測りに行って、どうして傷つけられて帰ってくるのだろう。薬局に売っているタバコ、賭博禁止の国のパチンコくらい笑えるパラドックスではないか。

 

そんなぼくだから、コロナワクチンの接種を拒否するのだ。なぜって、注射が嫌だから。

 

とはいえ、これは実は単純なようで理にかなっていると個人的に思っているのだ。

 

つまり、コロナワクチンは打っても打たなくても変わりないと思っている。

 

まず、①ワクチンで必ずコロナを予防できるわけではない

 

例えばインフルエンザワクチンにしてみても、ワクチンを打ったとして違う型のインフルエンザにかかったなんて笑い話はよく聞くだろう。それと同じで、コロナウイルスも刻々と変化を遂げており、変異株なるものも続々と出現しているらしい。

今さら言うまでもなく、ワクチンは絶対の防御ではない。

 

さらに、②ワクチンを打ったところでコロナ以降の生活が変わるわけではない

 

ぼくたちはしばらく、コロナで身につけたこの素晴らしい生活様式を手放せないだろう。

 

ここ一年とちょっとで、マスクをしよう、人とは距離を取ろう、手洗いうがいをして清潔でいよう、不要不急の外出はやめておこうといった新しい生活様式なる大層立派なライフスタイルは国民に浸透してきた。

 

旅行も飲み会もお祭りも、「別になくてもいいもの」に成り下がった。それらは不要不急でいつでも中止され得るものと認識されるに至った。

 

(ぼくは欲望に負けて博打に打って出る通常営業の人間たちに賭ける立場なので、得意の選択性痴呆症を存分に発揮し、コロナのことはあと数年経てば忘れてくれると信じているが、、、)

 

 

・・・

 

ぼくは日頃電子タバコを吸う。

 

電子タバコは壮大な人体実験の最中である。

 

サンプル数もまだ少なく、身体への害悪も正確なところはまだ分かっていない。

 

ところで、今回のコロナワクチンの治験に要した期間は10ヶ月程度だったそうである。

 

ぼくには、コロナワクチンと電子タバコはそう遠くはないことの話をしているように思えてならない。

 

最近、聞けば聞くほど、コロナワクチンはどうも怪しさに満ちていると感じる。

 

コロナワクチン接種後の死亡例が各国で相次いでいること、治験を担当した有名病院の理事長はモデルナ社重役を兼任し、8億円相当の株券を供与されていたこと。

 

内科医shamanseirenさんの「コロナストーリー」の通り、コロナワクチン接種事業を通じて管理社会化と人口削減を実現しようとしている何者かがいるとすれば、Netflixでドラマ化してほしいくらいには大変興味深い。

 

陰謀論といえば陰謀論だが、結局、歴史は勝者がつくる。壮大な計画の存在は常に、ネタとベタの狭間でうやむやにされてきた(ビルゲイツ!頼むぞ!笑)。

 

彼の言葉に倣えば、ぼくらは祈るしかない。

 

敵対者に?いや、10年後のぼくらに、だろう。

 

 

 

 

解説として

https://youtu.be/WEM2xoyz900

 

刺激として

https://ameblo.jp/shamanseiren/entry-12676339283.html

 

 

スナック

どんなに卑屈な態度をとってもきみはお見通しだろうね

 

そんなのただのポーズだって

 

そのくせ、一丁前にフェミニスト気取りなことを言ってみるんだ

 

「女性が活躍する社会なんて冗談じゃない。女性はいつだって輝いてきたじゃないか。」って

 

偉そうなことを言ってもすぐに自分に跳ね返ってくる時代だって知っていながら

 

だけど、ぼくも大概頭がおかしいけど、きみもどうかと思うよ

 

だって好きでもない人と平気でお話しできるんだもの

 

聡明なきみは、男の身体に身を預けなくても自立して生きていけるって分かってるだろうに

 

 

どうしてみんな自分に正直になれないんだろう?

 

最初は打ちひしがれて、思い悩んで、自分を顧みたりするのに、最後にはどうして安易な道を選んでしまうんだろう?

 

・・・

 

お互いに利用しあってるって、ぼくらは百も承知なんだ

 

喫煙者をバカにするけど、依存してるのはどっちなんだって言いたくもなるよ

 

人生なんて虚しいだけだって言ってみても露悪趣味って解釈されてしまう

 

みんな楽しいことはあるよって思ってるかもしれないけど、しょせんは脂っこいもので満たされてしまうんだ

 

きみは結婚式をするなら2人きりで式を挙げたいって言ってたけど、そんなの実現するわけはないんだよ

 

だって、顔を上げて周りを見てごらんよ

 

嫉妬と同調圧力だらけさ

 

地下室の手記』並みにくどくて嫌なやつなのは分かってるよ

 

でもこの感情は消えないんだ

 

どうしてみんな自分に正直になれないんだろう?

 

最初は打ちひしがれて、思い悩んで、自分を顧みたりするのに、最後にはどうして安易な道を選んでしまうんだろう?

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆとりと詰め込みと

日曜夜9時に放送されているドラゴン桜2は傑作だ。

 

教育において常識を覆す提言をいくつもしている。

 

本日第4話を観たばかりだが、今回素晴らしかったのが

 

「詰め込みこそが教育だ」というフレーズである。

 

これには単純な勉強論を超えた、大人たちへのメッセージが込められているように思う。

 

 詰め込みと聞くとみなが「ゆとり」との対立図式で語ってしまう。

 

でも、本来「ゆとり教育」とは単線的な経済成長が終わりを迎えるであろう21世紀を見据えた議論だった。

 

今までの教育観では行き詰まりをしてしまうという危機感のもと、「生涯にわたって学習する、その一環が学校教育」※だという方針の教育改革が「ゆとり教育」のはずだった。

 

だが、結局は教科書に載せる問題を減らすとかそういう枝葉ばかりが議論されてしまい、「ゆとり世代」なるレッテルも生まれてしまった。

 

ぼくたちは今一度、本質を見なければならない。

 

義務教育なんて知識をパターン暗記する場所でいいんだ。

 

ここではあえて「詰め込み」という言葉を使う必要がない。

 

そもそも順番が逆なのだ。

 

知識がなければディスカッションもできない。アクティブラーニングとやらも多分できない。思考することができない。

 

 

大げさに言えば、指針がない時代だからこそ知識の暗記が求められる。

 

なぜだろうはその後についてくる。

 

義務教育を経ての大学での学びは、そもそもそういう順序が想定されているのではなかっただろうか。

 

 

 

ゆとり教育」構想が失敗し、教育用語が次々と乱立する昨今だからこそ、

 

「詰め込みこそが教育だ」と言語化されたことの意味は大きい。

 

 

改めて、ぼくたち大人は「ゆとり」と「詰め込み」の不毛な対立を反省しなければならない。

 

教育用語の独り歩きを阻止しなければならない。

 

迷惑するのは子どもたちだから。

 

 

 

 

 

※注

deguchi-hiroshi.com

 

 

 

ホンネとタテマエと、でもタテマエ

いつだったか、何もかも人間のエゴでせつめいがつくって親父が言ってた。

 

これほど便利な言葉はない。途方もないって感じだ。

 

子育ては最も人間のエゴが色濃く出る。

 

死にたいと思ってるやつなら一度は手を出す反出生主義とやらも同じことを言ってるのではないか。

 

ぼくの大好きなやつらには結婚して家庭をもつというベタな生き方は回避してほしい。

 

大人になるとなんでそんなに生き方が画一化してしまうんだろう?

 

別に人生の最後を老夫婦として過ごさなくてもいいだろう?

 

大学で馬鹿騒ぎしてた時のノリで、ヘテロ男性同士で急性アルコール中毒で死んだっていいわけだろう?

 

その選択肢がなくなっていくってことが成熟ってことなのかい?

 

あるいは、ちゃんと子育てをして家庭をもつってことが成熟ってことなのかい?

 

でも、この世に生を産み落とし、大人の提供する「ストーリー」を生きろって方がムリじゃないか?そもそもそんな「ストーリー」はあったのだろうか?

 

まあ、多分そんなことを言葉にしたり文章にすると、ヤバいやつって思われて敬遠されるだろうね。

 

ポストモダン的な態度って意味で言うとそんな反応も当然だね。