SEASONS

この間、前の職場で一緒だった後輩と久しぶりに飲みに行った。

 

ぼくが初任で勤めた職場で、ぼくが2年目の時に入ってきた1つ年下の後輩だった。

 

当時も何度か飲みに連れて行った仲だった。彼にとっては他県で、しかも見知らぬ土地ということもあったから、お酒を飲んで上司やら職場環境やらの愚痴を言える場は貴重だったことと思う。2年間の県外勤務の後、彼は地元の県に戻ったのだった。

 

1年間という短い期間の付き合いではあったが、彼も徐々に仕事に慣れ、ぼくとの距離感も縮まるにつれて、ぼくに対してあけすけにものを言ってくれるようになった。

 

久しぶりに後輩と再会したその飲みの席で、ぼくの同期が婚約したという話題になった。ぼく自身は一般に職場の人間との付き合いが浅いからそんな話は初耳だったが、その後輩は婚約した同期とも仲が良い(前の職場をぼくが去った後後任で入ってきたのがその同期だった)ために知っていたのだった。

 

また、その後輩は地元ではなくこちらに彼女がいるとのことだった。その日はぼくと飲んだ後に彼女の家に泊まるらしいから、ぼくらの飲み方では珍しく、22時くらいで切り上げて一軒目でお開きとなる日であった。婚約した同期と、遠距離恋愛中の後輩。次第にその場は結婚やら将来やらのことで持切りになった。

 

男女の交際や結婚の話題は前から苦手だった。自分に大した恋愛経験がないこともその理由の一つだが、最近気づいたもっと大きな理由として、仮に自分が交際していたにせよ、そんな話をしても自分にはその先が決してないだろうことが分かり始めたということがある。

 

ふと気づけば、二階堂の水割りの酔いに任せて、必死に心理的な駆け引きやらデートやらをして交際し、結婚して子どもを産むということ、それ自体が無条件に肯定されるのはなぜだろうと、そんな疑問が澱みなく口から発せられていた。

 

「先輩は子育てなんて向いてないししない方いいっすよ笑」

 

後輩がはっきりとそう言ってくれて、ぼくは嬉しくなった。

 

「結婚はしてもいいと思うんすけど、なんか、無理に普通に染まんない方がいいと思います笑」

 

普通と異常、マジョリティとマイノリティ、画一性と多様性。いつの間にか「マイノリティ」やら「多様性」は二項対立の図式に収まるようになってしまったのか。

 

後輩のその言葉は、ぼくへの敬意なのか呆れなのか、はたまた感心なのか嘲笑なのか、人の気持ちを汲み取るのが苦手なぼくには判然としなかった。でも、何だか嬉しかった。

 

人は単にセックスをしたいのか、子どものいる未来を築き上げたいのか。ぼくのように「明日死にたくない」*1とは思わない人間にとってはそのどちらも同じことだ。あの穴に棒を入れて腰を振る摩擦運動は、単なる快楽でもあり、一方で、出生という営みを素直には肯定できない人間を生み出してしまったりもする。その落差を思うぼくの心の中のわだかまりはずっと消えることはない。

 

では、なぜお前は今すぐ死なないのだ。そう思う人もいるだろう。でも、自分を殺すことが遂行可能だとすれば、*2「明日死にたくない」とは思わないことは遂行不可能なことだ。

 

人には必ず、家族になら話せること、恋人になら話せること、友人になら話せること、職場の人間になら話せること、あるいは、カウンセラーになら話せること、色街の人間になら話せること、そして、誰にも話せないことがある。そうして引き算をして、自分の中に残るものを実存とか個性とか言うのだろう。

 

その秘密の部分が大きい人間は、精神疾患患者として取り扱われることもある。

 

社会には幸福な人間と不幸な人間がいるのではない。考えてしまう人間と考えないで乗り越えられる人間がいるだけだ。

 

その後輩は以前、俳優の三浦春馬が好きだった。三浦春馬ポールスミス愛好家だったようで、後輩もその真似なのかは分からないが、たしかに以前の職場の時からポールスミスの時計を身に着けていた。一ファンであるその後輩は三浦春馬が自殺したと聞いてかなりショックを受けたみたいだ。

 

2020年に女優の竹内結子も自殺をしたが、彼女にとっては夫と二人のまだ小さな子どもの存在は、この世界に彼女を繋ぎ止めてくれる理由には足りなかったというのは、なんとも胸を締め付けられる思いだった。

 

よくスポーツ名門校の監督が言う言葉に、アスリートとしてではなくまず人として、社会人として一人前の人間になることが1番だという指導方針がある。スポーツで勝利することも大事だが、それ以上に協調性や自分の頭で考え判断する力を養うことが大事なのだと。

 

だが、そもそも社会に出てみると、その社会では、労働し賃金を得て明日も生き、結婚をして新たな生命を生み出すことが無条件に、考えられもせず善とされる。そのことは誰も疑問に思っていない。協調性も自律心も、あくまで近代がぼくらに植え付けた個人主義の産物であって、ぼくらは「大人」として成熟することが社会では求められている。そのことに気づかせてくれるのは両親でも恩師でもなく、200年以上も前に生きていた哲学者の本である。

 

「何かあったら、仕事とかそういうのどうでもいいから、連絡くださいね笑」

 

社交辞令であったとしても、そう言ってくれる後輩に恵まれたぼくは幸せな方なのだと感じた。

 

ただぼくは、状況によってはこの幸福な感情は、生き延びる動機にもその逆にもなり得ると思った。

 

ふと、以前に仕事の窓口で対応した、19歳の娘さんを亡くしたお母様の姿が思い出された。

仕事柄、死亡者の受給権を請求できる制度があるため、その対応をした時だった。そういう時は、事前に遺族から担当者宛に連絡がくる。必要書類を伝え、案内文もそのお母様に郵送した。数日後、彼女が来所したのだが、窓口で住民票だったか何かの書類を忘れたとおろおろし始めた。とても狼狽していて、「あんなに確認したのに…」と自分を責めるような調子でつぶやいた。俯いていた彼女を見て、涙がこぼれそうになった。想像してしまった。娘さんを亡くしたお母様が精神的に大変な中で、重い足を引きずって市役所に出向いてくれたであろうこと。でも、やっぱり動揺していて、今日当日、書類を忘れてしまったであろうこと。その全てが、ぼくには耐えられなかった。

 

その娘さんは自殺だった。当然詳しくは言えないが、死亡診断書の内容はとても見ていられないものだった。

 

後日、不足書類を持参していただいたお母様が「〜さんのおかげでここまでやれました。」と言ってくれた。自分も今でも崩れ落ちそうなのに他人を労われるその心に、またしても涙がこぼれ落ちそうになった。

 

彼女は必死に生きたのだ。もっと頑張れた、と言う人間がいたとしたら、その人は想像力が著しく欠けていると言わざるを得ない。きっと、もっと生きたいと思いながらも、そんな自分を必死につき離しながら、彼女は自分を殺したのだ。

 

ぼくの発言には、20代の若者が言っていること、若さということ以外には何の価値も無いなんてことは分かりきっている。それでも、「明日死にたくない」とは思わない自分の思考だけは、法律にも誰にも邪魔されない、ぼくだけのものだ。

 

 

浜崎あゆみの曲にSEASONSという曲がある。限りある季節に僕たちは何を見つけるのだろう、と締めくくられるその歌詞は、あくまでも今日、明日、そして春夏秋冬と、明日が来ることに何の疑問も挟まない人間に向けられている。

 

もしも季節の移り変わりに心が動かされるような人間であったなら…。

 

仮定法過去はなぜ過去形なのだろう。もしかすると、条件節が常に過去形であるのは、もはやそれが永遠に叶わぬ、過去の経験から想像して頭の中で組み合わせることしかできない、その限りで実現不可能な夢であるという、残酷な通達だからなのかもしれない。

 

 


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*1:朝井リョウ『正欲』株式会社新潮社、2021年、4頁。

*2:現代思想11 特集|反出生主義を考えるー「生まれてこないほうが良かった」という思想』青土社、2019年、14~15頁。

リスク回避という安楽

 最近、お昼ご飯を買いにコンビニに行くと、ゼロシュガーやカフェインレスのエナジードリンクをよく見るようになった。ことエナジードリンクに限らず、他にも~オフシリーズの商品ではノンアルコールビールや糖質〇%オフのカップ麺も増えている。また、喫煙者であるぼくは、嗜好品の中でも先のようないわば「ノン・レス・オフ」化の流れを汲むものとして、電子タバコ市場がそのシェアをどんどん広げていくことも驚きのまなざしをもって見てきた。

 まず、ゼロシュガー・カフェインレスのエナジードリンクや低糖質のカップ麺、電子タバコが流行するのは意外な感じがした。なぜなら、ジャンクフードや嗜好品は刺激が強い分快楽も大きいことにこそ魅力があるのであって、その刺激を軽減させてしまっては快楽も薄まってしまうと思うからである。とはいえ、これだけ「ノン・レス・オフ」商品が定着するからには、当然、ジャンクフードや嗜好品に比べて快楽は半減するが低刺激を求めるという人々がかなり多いということだろう。

  もともと、嗜好品にはリスクがつきものであり、またリスクがあればあるだけ気持ちいいし楽しいし美味しいというのもまた事実である。たとえば、極上の快楽として知られるドラッグは脳機能の破壊、喫煙ならばガンや呼吸器系疾患、アルコールは肝機能障害や二日酔い…。酒呑みならばきっと一度はこんな経験がある。もう最後の一杯にしようと言いながら、会話も弾み「もうちょっと飲むか」ともう一杯、もう一杯と酒が進む。飲めば飲むほどもっとこの場にいたいと思う。飲みすぎて家族に怒られる、明日の朝遅刻する、二日酔いで仕事をこなさなければならない…。そんな自分が鮮明にイメージできるとしても。逆に言えば、辛い未来があるからこそ、この瞬間のお酒がよりうまかったりする。

 ところが、最近はみなリスクと快楽を両方受け容れることが難しくなっているように見える。ぼくたちはことあるごとに怒られないか、目立ちはしないか、行き過ぎてはいないか、はみ出してはいないかと自制心を働かせている。楽しさや気持ちよさを素直に享受するのではなく、それによってどういう迷惑がかかるか、どういうリスクがあるのかに配慮し、それに対するケアを怠らないことは社会生活上の最低限のマナーとなっている。

 したがって、「ノン・レス・オフ」の商品は今の時代にぴったりの、よくできた商品だと言える。それらは他人に迷惑をかけたくないぼくたちが選びうる最善の選択となりつつある。電子タバコならニオイもつかないし副流煙による害悪も軽減される。ノンアルコールビールならばアルコールによる様々な失敗もしなくて済むだろう。「ノン・レス・オフ」という枠組みは今や「SDGs」や「フェミニズム」同様、間違いのない選択肢となっており自分にも他人にも言い訳ができる安心材料なのだ。つまり、その選択はリスク回避の安楽という様相を呈している。

 思い返せば、ぼくたちの社会は様々な場面において、リスクを徹底して排除するようになった。子どもたちの遊ぶ場はどんどん減らされている。道路や公民館でボールをけって遊ぶ子どもは見なくなったし、危険な遊具はすぐに撤去される。大人になれば日ごろからコレステロールや肝臓の数値を気にし、会社組織ではハラスメントにならないかとコミュニケーションにも配慮せねばならない結果、人付き合いも適度な距離で機械的にこなしていくようになった。

 事前にあらゆるシュミレーションをして予測し、危険を回避することは複雑化する社会においてとても大事なことだろう。けれども、次はこんなリスク、その後はこんなリスク…と目まぐるしく推移する社会では、問題の本質がどこにあるのかという問いは忘れられがちである。たとえば、「お母さん食堂」というブランドを女性差別的であるという理由で撤廃させたとして、果たしてそれで女性差別という構造は解決されるのだろうか。この問題意識について、思想家吉本隆明は次のように述べている。

現在、身近に迫ってくる社会的な事件は、〈緊急の課題〉と〈永遠の課題〉が両方混ざって出てきていると理解した方がいいと申し上げました。・・・緊急の課題というのは、こちらからあちらへいく課題です。それでは永遠の課題は何かといったら、ある社会的な事件があったら、その事件を、時間的に言えば未来、もっと親鸞的な言い方をすれば浄土、あるいは死からの光線で照らし出してみなければわからない問題です。・・・たとえば、煙草を吸うのは体に悪いからやめようじゃないかという嫌煙権の運動があります。煙草を吸うか吸わないかという一見すると小さな問題を、緊急の課題として解こうとすると、煙草はガンになるからやめたほうがいいというお医者さんのような考え方になったり、嫌煙家の人の考え方みたいになってしまいます。・・・しかしぼくはそれが正しいとおもいません。なぜなら、煙草を吸うか吸わないかという問題のなかには、永遠の課題があるからです。・・・未開社会の時から、麻薬や嗜好品を人類は嗜んできました。一時的な快楽や安楽、一時しのぎの苦悩からの解放であったりする麻薬や酒などの、体に絶対によくないであろう嗜好品を、人類はなぜ嗜んできたのでしょうか。人間性のなかには、生理的には悪いとわかっていることでも嗜まざるを得ない精神状態があるという問題は、永続的な課題であり、嫌煙家の人には絶対に解けないことです。*1

 

 多分、ぼくたちの社会はもう、免疫をつけるとはどういうことなのかを忘れてしまったのだろう。人は失敗を乗り越えて強くなる、といった教訓も言葉としては残っても教育的に実践することは困難となった。健康は大事。命は大事。その通りである。反論の余地はない。最近はみんなまともなことしか言わなくなった。理性でもって、こうすれば危険は回避できるといった類のことしか言えなくなった。先の吉本の言葉を借りるならば、現代人は「緊急の課題」のことで頭がいっぱいなのだ。

 たわむれに、この時代状況を免疫学的な比喩で表現し結びとするならば、政治的正しさに満ちた社会は殺菌・消毒を徹底する清潔で健康な身体、「炎上」はウイルスの侵入である。身体は当然免疫反応として異物を徹底的に排除しようとする。だが、皮肉なことに、あまり異物慣れしていない清潔で健康な身体は、時たま過剰な自己防衛システムを起動し、無害な物質までも攻撃することがある。最近はこういったアレルギー反応がそこかしこで起こっている気がしてならない。

 

*1:吉本隆明吉本隆明が語る親鸞』株式会社東京糸井重里事務所、2012年、185~188頁。

When I was Your Man

Same bed but it feels just a little bit bigger now
Our song on the radio but it don't sound the same
When our friends talk about you, all it does is just tear me down
'Cause my heart breaks a little when I hear your name

いつも寝ているベッドなのに今は少し広く感じる
いつも一緒に聞いてた曲も今は違う曲みたいだ
友達と話してて君の話題になると その場から逃げ出したくなるんだ
だって、君の名前を聞いただけでこんなにも苦しいんだもの
It all just sounds like ooh, ooh, ooh, hoo
Mm, too young, too dumb to realize
That I should have bought you flowers
And held your hand
Should have gave you all my hours
When I had the chance
Take you to every party 'cause all you wanted to do was dance

全てがこんな感じに聴こえてる ooh ooh ooh...
ぼくも子どもみたいだったしバカだった 気づくのが遅すぎたんだ
君に花束を贈ればよかった
君の手を握って
君にぼくの全てを捧げればよかった
そのチャンスがあったんだから
君をパーティーに連れて行けばよかった 君はダンスがすごく好きだったもんね
Now my baby's dancing
But she's dancing with another man

だから今頃君はどこかで楽しそうに踊ってるんだろうな
でも、その隣にいるのはぼくじゃなくて他の男なんだ

My pride, my ego, my needs, and my selfish ways
Caused a good strong woman like you to walk out my life
Now I never, never get to clean up the mess I made, oh
And it haunts me every time I close my eyes

プライドが高くてエゴイストで、わがままばっかり言って自己中心的だった そりゃあ君のように思いやりがあって忍耐強い女性もぼくから離れていくわけだよ
もう頭の中はぐちゃぐちゃで整理がつかないんだ 目を閉じるとこんな感じで永久ループさ

It all just sounds like ooh, ooh, ooh, hoo
Mm, too young, too dumb to realize
That I should have bought you flowers
And held your hand
Should have gave you all my hours
When I had the chance
Take you to every party 'cause all you wanted to do was dance
全てがこんな感じに聴こえてる ooh ooh ooh...
ぼくも子どもみたいだったしバカだった 気づくのが遅すぎたんだ
君に花束を贈ればよかった
君の手を握って
君にぼくの全て捧げればよかった
そのチャンスがあったんだから
君をパーティーに連れて行けばよかった 君はダンスがすごく好きだったもんね

Now my baby's dancing
But she's dancing with another man
だから今頃君はどこかで楽しそうに踊ってるんだろうな
でも、その隣にいるのはぼくじゃなくて他の男なんだ

Although it hurts
I'll be the first to say that I was wrong
Oh, I know I'm probably much too late
To try and apologize for my mistakes
But I just want you to know

つらいけど
まずはぼくが間違ってたって言わないとな
そうだね ぼくの犯した過ちを謝罪するには遅すぎる
でも 君に分かってもらいたいんだ I hope he buys you flowers I hope he holds your hand Give you all his hours When he has the chance Take you to every party 'Cause I remember how much you loved to dance Do all the things I should have done When I was your man Do all the things I should have done When I was your man

あの時君に花束を贈ってあげたかった
あの時君の手を握っていたかった
ぼくのすべてを捧げたかった
そのチャンスがあったんだから
君をパーティーに連れて行きたかった
君がどんなにダンスが好きか 知っていたから
もしもあの時に戻れるのなら すべきだったことをさせてほしい
君の男だったあの時に
もしもあの時に戻れるのなら すべきだったことをさせてほしい
君の男だったあの時に


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Bruno Mars - When I Was Your Man Lyrics | Lyrics.com

 

素晴らしい和訳→When I Was Your Man Bruno Mars 日本語 歌詞 和訳 | ティモシーDiary (ameblo.jp)

easy

Know it sounds funny
But, I just can't stand the pain
Girl, I'm leaving you tomorrow
Seems to me girl
You know I've done all I can
You see I begged, stole, and I borrowed! (Yeah)

おかしいってわかってるけど
でも、もう耐えられないんだよ
明日には君のもとを去ろうと思う
ベストは尽くしたよ わかってくれるよね
そうだね 色々と頼み込んだり 盗んだり 借りたり なりふり構わずに

Ooh, that's why I'm easy
I'm easy like Sunday morning
That's why I'm easy
I'm easy like Sunday morning!

だから今は気楽なんだ
日曜の朝のように 気楽なんだ
だから今は気楽なんだ
日曜の朝のように 気楽なんだ

Why in the world would anybody put chains on me?
I've paid my dues to make it
Everybody wants me to be what they want me to be
I'm not happy when I try to fake it! no!

どうしてこの世界ではだれもがぼくを鎖で縛りつけておこうとするんだ?
成功するためにずいぶんと代償を払ってきた
みんなぼくにこうなってほしいなんて勝手な理想像を押し付けてくるんだ
ちっとも幸せなんかじゃなかった 偽りの自分を演じるのは 幸せなんかじゃなかった

Ooh, that's why I'm easy
I'm easy like Sunday morning
That's why I'm easy
I'm easy like Sunday morning!

ああ、だから今は気楽なんだ
日曜の朝のように 気楽なんだ
だから今は気楽なんだ
日曜の朝のように 気楽なんだ

I wanna be high, so high
I wanna be free to know the things I do are right
I wanna be free just me! Whoa, oh! Babe!

高みに行きたい
自由になりたいんだ ぼくの行いが正しいって 自信をもって言えるくらいに
自由になりたい このぼくでいるために


That's why I'm easy
I'm easy like Sunday morning, yeah
That's why I'm easy
I'm easy like Sunday morning, whoa
'Cause I'm easy
Easy like Sunday morning, yeah
'Cause I'm easy
Easy like Sunday morning

だから今は気楽なんだ
日曜の朝のように 気楽なんだ
だから今は気楽なんだ
日曜の朝のように 気楽なんだ
そうさ 気楽なんだよ
日曜の朝のように そうさ
気楽なんだ
日曜の朝のように...


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Commodores - Easy Lyrics | Lyrics.com

The Commodores - Easy の日本語翻訳 |Musixmatch

もらい物

おばあちゃんの家に行くと、よく物をもらう。

 

果物だったり魚だったりお菓子だったり。大抵食べ物だが。

 

大変ありがたいのだが、同時に何か心に灰色の煙が広がっていくような感じもする。

 

誰しもが一度は思ったことがあるのではないか。

 

このモヤモヤは何だろう。

 

単に、こんなの要らないのになあ、という煩わしい気持ちだけが生じたのではない気がする。

 

何か物を頂いた時、ぼくたちはその親切に対して親切を返さなければなあと思う。その義務感にモヤモヤを感じるのだ。

 

そんなの当たり前だと言われればその通りだ。

 

けれども、親切を返すのが煩わしくて嫌なのであれば、ぼくたちはそもそも、往々にして親切を求めていないということになる。

 

もっと正確に言えば、人からの親切と返礼という円環を面倒なものだと感じることが多いということだ。

 

贈与は受け手の「負い目」となり、返礼の義務感を生む。それが人と人とのつながりをもたらし(あるいは維持させ)、共同性を育む。

 

人はそうやって社会を維持してきた。

 

このことを好むか好まざるかに関わらず、人類が続く限り贈与はなくならない。

 

NTR

令和の時代を生きているぼくたちにとって、記憶に残っているマンガといえばやはり鬼滅の刃だろう。あるいは呪術廻戦か、約束のネバーランドか、あまりマンガ通ではないぼくにとってはその辺りしか答えられる作品がない。

 

そんな普段マンガをあまり読まないぼくが、裏マンガ史として、20代で衝撃を受けた作品はと言われれば、いわゆるNTR、寝取り系エロマンガの『カラミざかり』である。

 

ぼくがいくつか購入し、読んだ乏しい経験から言ってもNTR作品市場というのはかなりの規模である。その中で、他のどの作品とも毛色の違う、異質の輝きを放っていたのは『カラミざかり』だと思ったのである。

 

ここからはみなさんが『カラミざかり』を読んでいる前提で文章を書こうと思う。

 

物語の中で、主人公の高成とヒロインの飯田、寝取役である吉野貴史(ハゲ)、そしてもう1人の女性キャラクターである新山が主な登場人物である。みな高校生で、主人公高成は飯田が好きなのだが、ある日の下校中、ノリで貴史(ハゲ)の家でセックスが始まる。そこで、高成が恋するヒロイン飯田が貴史(ハゲ)に寝取られてしまうのである。

 

表現上の特徴として、全体的に情景や人物の描写はとても淡白で線的である。学校の休み時間の何気ない場面からセックスシーンまで、エフェクトが派手につけられることはなく、淡々と描かれていく。そこにはデビッドフィンチャーのテンポ良いカットを想起させるようなコマの運びが見られる。

 

描写において、ぼくが最も素晴らしいと感じるのはセリフがあまりないという点である。他のNTR作品を見れば明らかだが、行為中の擬音やセリフは量が多くかつ派手に描かれがちである。あるいは寝取りの回想シーンなどではとかく寝取られた側の悔しさや喪失感などの感情が事細かに吐露されている。こうしたセリフや感情の文字の量の多さは読者の時間を止めてしまう。ぼくたちは作品にのめり込むことを遮られ、性行為の描写や文字に集中してしまう。それに対して、同作品では性行為の前後、そして最中も余計なセリフは極力省かれている。興奮は吐息、汗、顔の火照り、陰部を抑える仕草で表され、性行為のシーンはベッドの軋む音、手の重ね方、唇の合わせ方、挿入から流れるように無駄なく、クライマックスにつれ大きく描かれる。だからこそ、寝取られ最中の高成の茫然自失とした黒い瞳と、事後の飯田の紅潮した頬とうつろな瞳がなんとも言えない余韻を読者に与えるのである。これは紛れもなく描写の力であろう。淡々と描写されるからこそ、ぼくたちはその余白部分において、この寝取りという行為に伴う悔しさ、喪失、憎しみなどの感情をじっくりと味わい、また、寝取りという行為の意味や倫理について考察できるのである。

 

『カラミざかり』は3部作品である。パート1は寝取られという喪失の始まり、パート2は喪失の徹底であり、パート3では寝取られという喪失を高成自身が性的嗜好へ昇華するというラストを迎える。

 

『カラミざかり』は見事に読者を裏切ってくれたのだと思う。高成は寝取られという喪失感から目を背けず、徹底的に自分をいじめ抜くという意味で、あくまで飯田に執着し続ける道を選んだ。彼は社会人になっても飯田と交流を続けており、彼女からセックス遍歴や犯された後日談を聴き続けることで寝取られを何度も追体験し、悔しさと喪失とマゾ的な快楽を何度も反復する。彼は物語の最後、次のように言うのである。

 

飯田 僕は君を好きになってよかった だってこんなに苦しい こんなに最低な気持ちを抱かせてくれる ありがとう 飯田 君は最高だよ

 

『カラミざかり』は中途半端な青春群像劇に逃げることなく、かといって単に主人公が虚しさを感じて終わるのでもなく、変態は変態でいいのだという結末を迎えた。

 

昨今は性的マイノリティでさえ多様性の名のもとに自由を失っていく。性的マイノリティは本来、数的不利ゆえの強い親密性をもち、秘匿されればされるほど出会いや行為の快楽は大きくなる。ここにこそ彼らの存在意義があった。しかし、今や朝井リョウの言うように、マイノリティの中のマジョリティという現象がトレンドになっていくなかで、彼らはむしろ窮地に立たされているような気がしてならない。彼らにもしも何か言うことがあるとすれば、それは『カラミざかり』のラストのような、人間をそのまま肯定するといった方向の言葉でしかないのではないか。

 

思えば、この世界で人間だけがぼくときみ、そしてもう1人という欲望の三角形に悩む動物である。そのもう一本の直線がぼくらを絶望に追いやるかと思えば、その逆に一瞬の形勢逆転、征服へと導くこともあるだろう。同じマンガで例えるなら、それは『キングダム』の元野党団の武将桓騎が劣勢の状況から奇策を用いて一気に敵将の目の前に現れ、首を取ってしまう残酷さに似ている。いかに事が順調に運んでいたと思っても、一瞬で現実は崩れ落ちる。寝取りとは、かくも人間とは一筋縄ではいかない生き物だということの何よりの証左ではないか。

 

どれだけの人生経験を積んでも、ぼくらが人間という社会的動物である限り、倫理に反く行為をすることがある。それが倫(みち)ならぬ行為であるところの不倫とも言う。

 

そして忘れてはならないのは、寝取りは人間の宿命と言っても過言ではないということだ。人は誰かを傷つけ、そして傷つけられて生きていく。道徳的説教などのつもりでは毛頭ない。人間のリビドーはぼくたちを寝取りへと誘うというだけのことなのである。いや、じっと待っているのか、あるいは向こうからやってくるのか。

 

 

https://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/detail/=/cid=d_136907/?i3_ref=search&i3_ord=4

 

ガールズバー

ハイスツールに腰掛けて、アメスピに火をつける。

 

ほんのりバニラの香りがする、暗めの小綺麗な店内が心地いい。

 

「どっかで飲んで来たんですか?」なんてお仕着せのあいさつから始まる。

 

でもままごとってやつは、当事者同士がベタさを自覚してやってるからこそ楽しいもんなんだ。

 

性搾取だって?そうだね。

 

ポリティカルコレクトネスの世の中では、ぼくは最低な性差別者だね。

 

でもぼくは潔く認めるよ。

 

合コンのような生殖のためのプログラムよりはいやらしくないって確信してるからね。

 

要するに、世間で言う道徳ってやつは自己破綻してるんだ。

 

 

この間は右も左もわからないような感じで

 

よそよそしくしてた君の方がよかったのにな。

 

今日はやけに積極的で、自信があるように見えるよ。

 

生意気なのは好きだけど、自信がある人間はやっぱり鼻持ちならないね。

 

 

成熟も責任も、本当は抗うべきものだよ。

 

みんな変に真面目になっちまった。

 

アリシアキーズとは違って、永遠の若さを約束する泉こそ求めているものだ。

 

 

それなのに、みんな正直にそう言わないんだ。

 

 

・・・

 

 

水割りがもはや水みたいになってきた。

 

やっぱりブルドックにしとけばよかったかな。

 

 

生身の匿名ってやつも悪くないね。

 

君と話してるとそう思うよ。

 

だから、誰でもいいってのは正しいし間違ってる。

 

「お酒強いですね!全然顔に出てないし。」

 

そうなんだ。

 

でも見かけによらずけっこう酔ってるから、

 

明日になれば君の顔なんてあんまり覚えてないんだよ。

 

次に会った時も髪形やメイクの些細な変化なんて気づかないから、初対面みたいなもんさ。

 

いずれにしても、君の顔と話し方は好きだよ。

 

無邪気っていう言葉が似合ってる。

 

親に感謝する前に、ブルデューでも読むべきだよ。

 

ところで君は人生を計画してたりするのかな?

 

バックドアとして、結婚にあやかるっていう生き方もあるよね。

 

その自慢の容姿を活かしてさ。

 

ぼくは計画しないけど、少なくともお墓には入らないつもりだよ。

 

 

 

 

成熟も責任も、本当は抗うべきものだよ。

 

みんな変に真面目になっちまった。

 

アリシアキーズとは違って、永遠の若さを約束する泉こそ求めているものだ。

 

 

それなのに、みんな正直にそう言わないんだ。